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18/11/2006

奥三河の花祭りなど

                                          スーパーマンである善なる神 『榊の鬼』の舞

 

 

奥三河の花祭り

 

JR豊橋から 飯田線に乗り換えて行く奥三河地方に 風変わりな古くから伝わるお祭りがある

竃(かまど)を 祭りの場の中央に据え 湯を沸かす釜を中心に 数々のご神事が行われるのである

時期は 従来は霜月に多かったが 人手の都合等で正月にやられたり 11月末から1月に掛けてが多くなった

愛知県北設楽郡一帯の各部落で行われ 元来新年を直前にした冬祭りのことで

この周辺一帯に数多く観られる湯立ての神事であり 霜月神楽(しもつきかぐら)の分野に入る

花祭りと言うのは 稲の花のことでその成熟を祈るとも 神仏供花の意とも 

又 この地方に最初に穀物を持ち込んだ修験者が祀った花山法皇の名に由来するとも

竃の釜から 鬼などの素手で パパッとはらわれ 湯気になった神の水蒸気が湯花とも言われていて

『花』と言う意味は 諸説あり なかなか断定し辛いところでもある

 

花宿(祭りの場)中央にある竃を中心に 神降ろし 湯立てなどの神事の後に

湯潔などの儀式舞 青少年による花の舞 三つ舞 四つ舞と

役舞と言う鬼 翁 嫗(おうな)などの面形の舞などが 夜を徹して続き

朝方神送りのご神事があり 鎮花祭で終わる

 

青少年の舞は 始まると一時間休みなく続き その間見物人達は 「テーホヘ テーホヘ」と掛け声を掛けたり 延々と続く

悪態をついたり 散々囃したてる 湯花を掛ける 更に翁と禰宜の問答や へんべ(反閇)と言う鬼の足踏みの所作などに

悪魔退散や人々の疲弊を駆逐する呪術的効果があるとされ 民俗学的にも 非常に注目されるものである

近くを流れる大入川と振草川との二大系統と もう一つの大川内系統の三大に分かれていて 

一方は神事系で 祭り全体が白く 又一方は仏花系統と言われ 五色の色彩に彩られていて 若干それぞれが違っている

いずれにせよ これらは官製祭事ではなく 修験者や民間の人達が始めたもので 

そこが計り知れない魅力に満ちているのである

 

又 ここからそう遠く離れていないところで 『霜月神楽』が行われている遠山郷などの集落があったり

『新野の雪祭り』とか 『坂部の冬祭り』と称している湯立てのご神事の祭りも神楽であり この辺は特に神楽の宝庫であろう

湯立ての神事系統のお神楽は 悪魔退散 五穀豊穣 家内安全などを願う素朴な民間のお祭りだが なかなか言葉だけでは 

これら湯立て神事神楽の魅力を 充分に伝えることが出来ないもどかしさを強く感じる 直接観るしかないのである

幾つかの村々では 休憩所なるものが出来 毛布の配布や簡単な食事が出され 一般の我々には 限りなく有り難い

 

早川孝太郎と言う 画家であり 柳田民俗学者である方の大著『花祭り』と

近年文化功労賞にも輝き 膨大な著作のある本田安次には 名著『霜月神楽の研究』があり

それぞれこのエリアの祭りの魅力を存分に伝えて余りある

                               花宿における神降ろしのご神事 (天井から下がっているのは五色の奉幣)

 

                                                                                      (2004/12/10)

 

09/03/2006

誰と歩こう春の宵 東山・花灯路

 

 
 
 
 
 
早春の京都 誰と歩こう春の宵
東山・花灯路~
 
 
 
3月11日~3月21日まで
 
午後6時~9時半まで露地行灯点灯
 
 
 冬の京都から 櫻満開の京都の間 
 
僅かな期間だが 京都の観光客は一旦まばらになる
 
櫻が爛漫と咲き出す直前で 嵐の前の静けさと言うわけだろう
 
 
 
そんな折 この花灯路が始まった 三年になる
 
青蓮院~知恩院~円山公園~八坂神社~高台寺~
 
圓徳院~石塀小路~法観寺(八坂の塔)~二年坂~
 
産寧坂~清水坂~清水寺~茶碗坂など
 
距離4,6キロの区間で 東山散策には ちょうどい
 
京焼(清水焼)・京銘竹・北山磨丸太・京石工芸・金属工芸
 
などで出来た露地行灯(ろじあんどん)が 沿道に2400個以上点灯し
 
門前の店頭に彩りを添え はんなりとした 京ならではの企画になっている
 
途中知恩院や高台寺の華舞台では 様々な催し物があり 充分楽しめよう
 
 
 
驚くことに JR東海では 東京から「花灯路特別新幹線」なるものを走らせ
 
車中では 舞妓はんが お接待に当たると言う念の入れようだ
 
 
 
京都府・市・京都府商工会議所・佛教会・観光協会などが主催し
 
JR東海や各社マスコミや地元商店など 多くの会社が協賛している
 
言わば 上からのお仕着せのイベントであるのだが 
 
何せ100万人からの観光客が押し寄せると言うから
 
単なる驚きだけでは済まされないような気がして来る
 

 
 
 
 私は三年前に行っている
 
石塀小路の隠れ家的な旅館に泊まった
 
息を潜めて 櫻が咲くのをじっと待っていた
 
 
 
深閑とした空気の中に
 
櫻が膨らんで来るのが分かって
 
息苦しい
 
 
 
今か今かと待つ時の焦燥感
 
大きく膨らむ花への思い
 
 
 
とうとう帰る日の夕刻 
 
円山公園の枝垂れ櫻のテッペンに
 
幾つかの開花を観た
 
 
 
今年も観れたと言う歓びが じわりと込み上げる
 
生きていて よかったと思う瞬間である
 
 
 
花灯路沿道にある『阿吽坊(あうんぼう)』の
 
カウンターで おばんざいを頂きながら
 
京北町の地酒を飲んで 最終の新幹線で
 
その日は気持ちよく帰った
 
 

 
 
http://www.hanatouro.jp/index.html (花灯路公式サイト)
http://www.gion-fukuzumi.com/plan/hanatouro/index.html (道順が書いてある福住のHP)
http://www.gion.or.jp/news/other_news2.htm (祇園おこしやす 祇園商店街の公式サイト)
  
 我がブロフ名は この花灯路から採ったものである 本日より 端書だけ換えてみた
 尚秋には嵐山・嵯峨野で 嵐山・花灯路がある 去年からの催しで これも続いて行きそうである
 

05/03/2006

春を呼ぶ火と水の祭典 修ニ会

 

 

 

  

春を呼ぶ火と水の祭典 修二会

 

~東大寺・二月堂のお水取り~

 

 

 東大寺・二月堂では 現在お水取り(正確には修二会‐しゅにえ)が行われている 

十四日が満行だから お近くの方々は これからも大勢行かれるのであろう 

古都奈良の春は お水取りが終ると直ぐ 本格的に風が温み ようやく春陽が到来するのである 

至極興味深く面白いのは このお祭りは単純な天下国家の安寧を願う行事であるが 

その内容ないささか単純ではない要素がたくさんあるお祭りだから 面白いのである 

古来神道があって そこに外来の信仰として佛教が入って来る 

そうして形成された非常に古い形式を残しているからである 

古来の山岳宗教の上に 佛教が乗ったお祭りであるのかも知れない 

驚くべきことは 天平勝宝四年(752年)からただ一度も絶えることがなく 催されて来たことだ 

今年で実に連続1255回を数えられる 東大寺開山の祖・良弁僧正(ろうべんそうじょう)の

高弟・実忠和上(じっちゅうかしょう)によって 始められた行事と言われている 

実はこの二人には 何故か山岳宗教の香がプンプンするのである 

言わば神仏混合的な発想の行事と言うことにもなろう

 http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-33.html民俗学的考察が面白い)

 

 

     <神仏混合の美~水>

 

 行をする人々を錬行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれるが 

良弁僧正の命日の12月16日に 翌年の修二会に参加するお坊さんが11名選ばれ 発表される 

そして2月20日から2月25日まで それら錬行衆は 注連縄を張った場所で 

別火精進(べっかしょうじん=煮炊きを別にして 身を清める)して 様々な準備の前行を行う 

3月1日から3月14日までを本行とし その2週間を修二会(しゅにえ)と言うわけである 

修二会は正しくは十一面悔過(じゅういちめんけか)の法要と言い 

人々の成り代わって 十一面観世音菩薩さまに対し 懺悔の行を行い 

天下泰平(てんがたいへい)・五穀豊穣(ごこくほうじょう)・万民快楽(ばんみんけらく)を祈ると言う 

約3箇月に及ぶ大きな法要なのだ 

 http://www.todaiji.or.jp/ (東大寺公式ホームページ)

 お水取りの名の由来は こうである 

実忠和上が最初の修二会の時 神名帖を読上げ 全国におられる八百万の神々を招請した際

ただ一人だけ 今にも行が終ろうとする12日に 大遅刻をして現れた神がいた 

若狭の国の遠敷(おにゅう)明神だ 神はお詫びの印しにと 二月堂真下の大岩に向かって真剣に祈り始めると 

大岩がパクリと口を開け 滾々と水が溢れ出たと言うのであった 現在閼伽井(あかい)の井戸になっているが 

ここは若狭井(わかさい)とも呼ばれていて 十一面観音菩薩に供えるお水は ここから12日に取られている 

これをお水取り もしくはお香水(おこうずい)と 一般的に親しまれている由縁である 

但し東大寺のお水ではなく 若狭から届けるお水でなければならず 地下水脈をつたって 

10日で着くと信じられており 従って12日の若狭井のお水取りに間にあわせて 

例年3月2日に若狭・小浜で お水送りの神事が行われている

http://www.city.obama.fukui.jp/maturi/omizu.htm (若狭・神宮寺のお水送り神事)

 

 

      <韃靻 五体倒置 お松明>

 

 修二会は 決して静かなお行ではない 

悔過(けか)と言う懺悔をしたり 大地踏みをして 諸々の鬼を祓わなければならないのである 

特に12日13日14日の午後11時から 後夜の行として 韃靼(だったん)と呼ばれる火の行が行われる 

激しく鬼を追い祓う 乱声(らんじょう)と呼ばれる法螺貝や太鼓などとともに 

大声で怒鳴ったり 人々の煩悩を焼き突くさんばかりである 

反対役の水天役も出て 火天役が大松明を ドンと床に突いたり 

それを水天役が水を撒いたり 悪魔祓いの行法なのである 

走り回った錬行衆が 最後に五体倒置と言って どさりと倒れ込む 

食うや食わずの錬行衆の激しい祈りの中で 一般の人々にも差し上げられる香水授与(こうずいじゅよ)があったり 

激しい火祭りの様相を呈している 京田辺から運ばれた大松明は 

まるで邪気と勘気と寒さに さよならするかのようにドラマティックな激しい場面の連続である 

修二会をお水取りと言ったが 別名お松明とも呼ばれている由縁だ

http://www.urano.org/kankou/topics/shunie/index.html (お水取りが詳細に出ている)

 

 

      <良弁椿の造花>

 

 

 上記椿の写真は 二月堂下にある開山堂境内に咲く良弁椿(ろうべんつばき)である 

十一面観音菩薩さまに 手向けるのに 良弁僧正所縁の本物の椿は咲いていない 

真っ赤な椿に糊を零したような白い斑紋様がついている 

そこで京都の染師に頼み 紅を塗られた和紙で 

錬行衆は2月のお籠もりの時に 『糊こぼし椿』の造花を作るのである

 http://www.wanogakkou.com/life/00100/00100_006_02.html (和の学校公式サイト 紅染め)

 

 

 本物の椿の樹に この造花をつける そうして手向けるのである 

激しい火と水の祭典の中で 一服の清涼剤とでもいいましょうか

お松明はそもそもは錬行衆の足元を照らす為のものであるが 

毎度二月堂欄干で お松明の光が激しく動き その火の粉を被ると 一年の災厄は逃れられると言って 

みな怖々と 二月堂欄干の下にいて 火の粉の落火を待っているのである 

今まさに1255回目の修二会の最中である  歴史の目撃者として 

一度是非伺って欲しい行事の一つであろう

 http://www.todaiji.or.jp/index/hoyo/syunie/stop/stop02.htm (㊥フィナーレ12日お松明の日)

http://yamatoji.pref.nara.jp/topics/syunie/taimatu.htm (お松明の主な時間表)

  

        良弁椿の土鈴 (購入可)

 

16/02/2006

雛祭りの伝承 その他

                                       五条市 吉野川の流し雛(下部URL参照) 

 

 

 

雛祭りの伝承 その他

 

 

  女の子のお祭り>

 

 3月3日 女の子の節句 愈々雛祭りである 

この日ばかりは 何となく華やいだ美しい祭りであるのは 何故なのだろうか 

更に何処かモノ哀しいのは何故であろうか 

女の子のお祭りであるからと言ってしまえば それまでだが 

華やいだ中にも 我が娘への思いの丈が溢れているからであろうか 

それに引き換え男の子の節句5月5日には 鯉幟と菖蒲湯と粽ぐらいなもので 実にあっさりとしているのである 

女の子は嫁いで行く その一瞬のモノのあはれも 

この祭りに 隠蔽されているのではなかろうか 

何処かモノ哀しい思いはないのだろうか 不図そんな風にも考えられる

 

 

 雛人形は 最上段に一対のお内裏様 次に三人官女 五人囃子 左大臣 右大臣 三人仕丁などが配置され 

雛人形のバックには 屏風を始め 雪洞(ぼんぼり) 左近の櫻 右近の橘 菱餅 白酒 雛菓子などが供えられる 

それだけではない 重箱 箪笥 長持 鋏箱 鏡台 駕籠 御所車などのミニチュア調度品が飾られ 

女の子が将来嫁入りする時の情景を鮮やかにファンタジーとして見せているのである 

その上に 桃と菜の花を活け 煎り豆 浅葱膾(あさづきなます) 蛤(はまぐり) アサリなどを調理して雛段にお供えし 

一同でお祝いをして 会食するものである 

日本の祭りの中で 女の子に限定し これほどファンタスティックな要素のお祭りは 他に類例はないのである

 

 

 このお祭りの形式が定着したのは 実はそう古いものではない 

後で述べるが 日本には古来から『流し雛』と言う伝承があって 

『段飾り』は 公家の文化が庶民にまで及んで来た証拠なのであった 

その背景には 庶民の繁栄と言うキーワードがあるのだが 

江戸中期 寛文・延宝(1661~81年)頃から 盛んに行われるようになった 

処が華美に成り過ぎていないかと 幕府が聴聞した結果 事実その間であっても 

寛文八年(1668年)と宝永元年(1704年)には 行き過ぎを是正せよと言う布告がなされた 

それでも庶民 特にその中でも富裕層に 静かに深く浸透して行ったのである 

然し中央の富裕層だけであって 地方の末端の庶民に到るまで普及することはなかった 

近代日本になって 人形の大量制作が可能になってから 初めて末端の庶民に到るまで飾れるようになったのである 

それまでの一般庶民は流し雛が主流であったのは言うまでもない

 

 

 大分県日田林市豆田の人形の館や山形県谷地の鈴木家に 

豪華な『享保雛(きょうほびな)』が伝わっているが 日田林は材木の天領であったし 

寒河江一帯・谷地辺りまで紅花の産地として天領であった理由で 

それぞれが京都との直接交易があった所為で 豊かな資産が裏打ちされているのであった 

だがこれとても一般大衆まで広がったとは とても言えたものではなかったと思われる

 

 

   流し雛と曲水の飲>

 

 節句と言うのは 現在では3月3日の桃の節句(雛祭り)と5月5日の端午の節句だけを言うが 

本来は五節句があった 平安時代の朝廷では 5つの節ごとの公事が行われ その後節会を行う日のことを言ったが 

それに準じて一般人がお祝いし会食することを『節供』(=節句)と呼ばれた その後朝廷の節会は廃れ

 一般人の会食へと重要視されるようになったのである 

その五節句とは 人日(じんじつ=1月7日) 上巳(じょうし=3月3日) 端午(たんご=5月5日) 

七夕(たなばた=7月7日) 重陽(ちょうよう=9月9日)のことで 人日以外は奇数の並び数字である 

尚『節供』とは 節句の日に出される供御(くご)のことで つまりご馳走のことを言ったのであった

 

 

 上巳の日とは 旧暦の三月の最初の巳の日と言うことで 

元はと言えば 中国で三月の上巳に起きた出来事に端を発し 発展成長を遂げて来たお祭りのことを言った 

上巳を俗に「じょうみ」とも言い 三月の上巳の「み」と 三日の「み」と照応させて 

三月三日に定めたらしく 三が重なるので 『重三(じょうみ)の節句』などとも呼ばれていた

 

 

 さて上巳とは 中国の故事に基づくものであるが 

この日中国では 池や清流のある場所へ行き 「流水曲水の飲」をしたとある(『荊楚歳時記』による) 

これは水の流れに杯を浮かべて その杯が所定の場所に到着する間 

詩を作って競うと言う まことに風流な遊びのことを言っている

 

  

 この中国に古くから伝わる行事の由来について 晋の武帝が怒りながら問い質したところ 

「漢の章帝の時代に 平原(現在は山東省徳州平原県)に 徐肇(じょちょう)と言う者がいて 

三月に初めて三人の女子が生まれた 処が三人とも三日後に死んでしまった 

村中の人々が この事件を大変なこととして扱い みんなで酒を持ち寄り 

『東流の水辺』になきがらを運び 酒などでよく洗滌して水葬にした 

このことに因んで 流水に杯を浮かべる行事が起こった」と説明をした 

武帝は「それはおめでたいことではないか」と言うと 

他の臣下は 「昔 周公も流水に酒を浮かべたし 秦の昭王も三月の上巳に河曲に 置酒した」と応えて 

武帝を宥めたと言う いずれにせよ これが水辺に出て災厄を祓う行事となって 

それが発展し 曲水の飲と呼ばれるお祝いごとになって 我が国に伝わって来たものである 

但し災厄を祓うと言う考え方は後々まで響き 「邪を裂く力」があると言う桃の湯 

又は桃花酒を飲む習慣も出来て 丁度桃の花の季節でもあり 

「桃花節」「桃の節句」と言う言葉が生まれた

  

                                      下鴨神社の流し雛

 

     <日本古来の伝承との接点>

 

 日本には こうした行事は早くから伝わっていたらしい 平安初期にはそれらの記述も見える 

三月上巳の日に 陰陽師を呼んで 

お祓いをさせ(人形=ひとがたを作って それを身体になで 自分の穢れを人形に移すと言うお祓いの行事) 

その人形を川や海へ流す行事が盛んに行われていた 

これこそ中国から伝わった曲水流觴(しょう=杯)の飲と 

お祓いを済ませ 水に流し送ると言う日本古来の風習と 上手に習合をしたものであると言われている

 

 

 そうして人形(ひとがた)は 本来お祓いし 流すものであったのが 

押し絵 糸製 土焼き製 更に胡粉(こふん)塗りの飾り雛へと発展して行き 

本来の意味を失って行ったのであった

 

 

 然し日本古来の行事はそう容易く廃れるわけがなく 

地方地方によって 今でも盛んに『流し雛』の行事が行われている 

タラバス(米俵の丸いフタ)や竹製の籠に 紙製の人形一対が乗せられ 

穢(ケ)を祓う行事として 特に淡島神社系統には多く存在している

 

 

 或る地方では 野遊びや山遊びをして 持参した紙製の人形で 又遊んで 遊び終わると 

川や海へ流す『ひなおくり』の風習を残している地方もある 

これは日本古来の行事に 中国からの伝承が加味され 単なる人形ではなく 

紙製ではあるが 雛人形として扱われている 

遠い中国のかの地で 三人の女の子を失った父親の哀しみが内包されているのではなかろうか 

幽かに モノのあはれは これであったのだろうか

  

                     山形県谷地 鈴木家の享保雛

 

       <花寄せ>

 

 雛祭りは 3月2日の晩に行われる 宵の節句から始まって 4日の送り節句で終るのが一般的である 

早く片付けないと お嫁に行けないと風説があって 5日には雛壇は片付けられ 

雛人形は再び暗い御倉行きし 来年を待つのである

 

 

 然し4日の日を花の日と言って 野山に入って 草花を楽しむ風習が 中国地方や九州地方に多く残っている 

又5日を『花寄せ』の日にして 山遊びをするところもある 

5日になっても 雛祭りの余韻がまだまだ残っているのである 

近くの野山に行って 花摘みをする習慣は 身を持って 春の到来を感じると言う側面と 

これから始まる本格的な農作業に勤しむこころづもりもあるのであろうか 

何とも優雅で 微笑ましいものでもあろう

 

 

 又 先に書かせて戴いた伊豆の吊るし雛の習慣も なかなかいいものですね 

 

 現代のお雛様は 八女とか岩槻が本場で 人形が大量に作られる割には 高価なものだ 

捨てることはなく ただお人形としてしまわれることが多い 

それでも隅田川など 各所で流し雛の復活がなされているのは 或る面では嬉しいことである 

但し人形屋さんが主催して行われるのは 一種の呼び込みのようなもので どうかと思わざるを得ない 

どんなに優雅に作られた雛人形でも 流してしまうお祓いの気持ちが 

何処か儚げで美しいのであるが・・・・・・・・・・・・・

 

  

                                               花桃 風景

 

 各地の流し雛 http://www.hinamatsuri-kodomonohi.com/nagasihina.html

 

26/01/2006

農民・暮らしの中の能 王祇祭を通じて

 

園部澄氏写真 『黒川能』より

 
 
 
 
 
 
黒川能の凄さと美しさと
 
  
 
山形県鶴岡市の在郷 櫛引町黒川地区に この地区の鎮守・春日神社がある
 
そこで 天地も凍る 毎年2月1日に王祇祭と言うこの地区で最も重要な祭りがあり
 
古い形式の能や狂言などが 神事能として 奉納され 同時に伝承されて来た
 
演ずるのは すべて農民であり 頑なにそれを守っていた
 
 
 
五百年の永きに渡って伝承されて来たこの能には 
 
現在 中央の五流に見られない古い形式が
 
数多く残っており 如何に春日神社とともに 歩んで来たかが知れよう
 
春日神社の氏子240戸 能役者と囃し方は 子供から長老まで160人
 
能面230点 能装束400点 能の演目540番 狂言50番を数え
 
昭和51年に 国の重要無形民俗文化財に指定された一大民俗芸能である
 
 
 
鎮守の神・春日神社に年4回の例祭があり それぞれ神事能として黒川能が行われる
 
 中でも最も重要な例大祭は 地吹雪吹き荒れる2月1日『王祇祭』と言い
 
そこで挙行される能が 黒川能と呼ばれている最大規模の祭りである
 
 
 
それを見る為に 現在は一年前からの予約制になっているが
 
私が行った時代は 演能の場所に 未だ一般客は入れなかったのである
 
吹き荒ぶ雪の真っ只中で せめて酒で暖を取りながら
 
完全な防寒着を着て 更に頬被りをして 当屋の窓越しに
 
ゆらゆらと揺らめく 蝋燭の灯りを頼りに 覗いたものであった
 
 
 
2月1日未明 春日神社の神霊が宿る『王祇様』(3本の木に白布で出来たご神体)を
 
上座・下座の当屋(とうや=当番の家 60年1度廻って来る)に 初々しくお迎えし
 
座衆一堂に会して 座狩(ざかり=総点呼)があって 賑やかな振る舞いの後
 
夕刻から 稚児による『大地踏』(おおじふみ=お水取りの達陀<ダッタン>に通じる?)で
 
 黒川能が始まる その後『式三番』(翁や三番叟など)があって
 
それから 夜を徹して 能5番 狂言4番が 太い和蝋燭だけの灯りの中で
 
妖しく 時に艶かしく そして荘厳に演じられるのである
 
 
 
当屋での能が終り 翌2日には ご神体が春日神社にお還りになる
 
再び神前で 上座下座の両座が 脇能(神を主人公にしたおめでたい能)を
 
一番ずつ演じ その後『大地踏』『式三番』が 両座立会いの元に行われる
 
春日神社境内に ご神体を手に駆け上がる『尋常事』(競走事)など
 
様々な神事を織り込みながら 王祇祭は夕刻まで及ぶ
 
ご神体の衣布は 翌年の当屋に授けられ
 
又新たな一年が始まる
 
 
 
王祇祭と黒川能は切っても切れない関係にあり 神事能として演じられて来た
 
それが幸いしたのであろう 古色蒼然として 今に引き継がれる事になったのである
 
こうして王祇祭が挙行され 黒川の人々の生活は この祭りを中心にして
 
すべてのサイクルが決まっている 素晴らしい伝承であろう
 
 
 
ただ一つ皆さんに分かりづらいことがある 
 
それは謡いが庄内訛りの言葉で聞き辛いからである
 
逆にそれが新鮮にも写るが 慣れないと 苦労する
 
 
 
通常 鬘(かつら)~鬘帯(かつらおび)~能面の順序で着けるが
 
黒川では 鬘をした後 直ぐに能面を着け 面の上から 鬘帯をつけて
 
一層迫力に富む演出がなされている 至極リアルなのである
 
 
 
60年に1度当たる当屋とは大変なものである
 
順番で 廻って来る当屋では 内壁をすべて取り払い
 
その屋内に 能舞台を作り 客席も作ると言うのだから
 
因みに結婚式なら 2~3回も出せそうな出費が嵩む
 
当屋では 振る舞いも出されているから
 
それこそ大変なことな事である
 
 
 
近年黒川能会館が出来 王祇祭や大地踏の様子が手に取るように
 
再現されていて 興味が尽きない 益々素晴らしい伝承になるであろう
 
農民による農民の為の芸能として 最も立派に伝承されているのだ
 
 
 
黒川能の泣きたくなるような美しさは その素朴な至芸にあり
 
ご神事の永き伝承によってもたらされた 稀に見る古式にあって
 
農民の強靭な強さと柔らかさの中に 密かな凄みが隠されている
 
 
 
それが当屋の中で 我々も見れるようにネットでの受付があると言う
 
今からは御覧にはなれないが 毎年4月から11月まで 受け付けられている
 
当屋での振る舞いも出されると言うから 私が見た時には 夢のような話である
 
吹き曝しの雪が シンシンと降る中を見学させて戴いたものであった
  
 
 
                
口絵 文化勲章受賞者 森田茂 
       油彩『黒川能・熊野』
18/01/2006

毛越寺の延年の舞

 老女

 

 

毛越寺の延年の舞

 

1月20日 大寒の夜半に

 

 日本には古くから延年の舞と言うのがあった

加齢延年のことで 大寺で法会の後に 

一山の大衆・稚児・遊僧など

諸芸に堪能な者達によって催された遊宴・歌舞の総称を 

延年(えんねん)と言われた

 

平安時代中期から 江戸時代まで盛んに行われたらしく

全国の大寺には その記録がたくさん残っている

仏を称え 寺を誉め 天長地久を祈り 千秋万歳を寿ぎ

各自当時流行の諸芸を持ち寄り 

風流(ふりゅう)や連事(れんじ)に仕組み

或いは田楽や猿楽の衆を呼び寄せ 当時流行の能もやらせた

最も盛んに行われていた興福寺の延年は 

江戸時代に入ってからも盛んに行われたが 

元文二年の維摩会(ゆいまえ)を最後に廃れてしまった

 

処が 平泉の毛越寺(もうつうじ)の常行堂のお祭りには 

ほぼ完璧に近い形で 延年が残されていた

他に 平泉・中尊寺の白山宮祭り 小迫(おばさま)祭り 

陸中鹿角の大日堂祭堂 隠岐の島の国分寺蓮華会の延年にも 

そして日光山・輪王寺に一曲を残されている

それ以外は延年とは呼ばれていない

 

去年NHKの大河ドラマ『義経』の冒頭で 

白馬が走る場面があり 

平安朝の池が 次に映し出されていた 

あの池が この毛越寺に残る 

平安時代そのままの池 そのものである

 

その池の先に 小さな常行堂(じょうぎょうどう)があり 

毎年一月十四日から勤行(ごんぎょう)が始まり

延年の舞が行われるのは 二十日結願(けちがん=フィナーレ)の日の夜半 

雪のしんしんと降り頻る中

灯りは和蝋燭(わろうそく)のみ

古色蒼然たる舞が奉納される

 

老女の振る鈴の音だけが いにしえの記憶を呼び起こす

 

白髪かつらに老女面 水干(すいかん)に下袴を着け 鈴と扇を持ち

摩多羅神(まだらしん)を三拝し 神前で 

白髪を梳ける真似をし

尚 鈴を振って舞うのである

百歳の老女の矍鑠(かくしゃく)たる姿を演じるのだ

素晴らしい 静かで強く 美しい舞である 感動の涙を禁じえない

幾つになっても女性には 神々しい美しさがある

もの皆すべての母だからだろうか

 

この他延年の児舞として 立会(たちあい)と呼ばれる舞の

『花折』と『王母ヶ昔』とあり 地謡に合わせ 

舞楽(ぶがく)風に 美しい舞が舞われる

 

又延年の能として

『留鳥』『卒塔婆小町』『女郎花』『姥捨山』の四曲が残った

昔は数十番の能があって 猿楽と言われる能なのであろうか

 

まるで現代の様々な事柄の鎮魂を 真摯に祈っているかのような祭りである

 

これらの祭りを発掘された方は 故本田安次と言う偉大なる民俗学者であるが

今 ふと早稲田同門で ともに英文科出身の現代和歌の巨人

故会津八一先生の歌を思い出しました 

ここでご紹介しておきたい

   

          あめつちに われひとりゐて たつことく

                     このさみしさを きみはほほえむ

                              (法隆寺夢殿 救世観音像前にて)

 

                                秋艸道人詠む(会津八一筆名)

 

 

参考資料 摩多羅神 http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/1_J.html

          毛越寺ホームページ http://www.motsuji.or.jp/

 

口絵 毛越寺・常行堂 (尚写真は毛越寺のホームページより お借りしてあります)

20/12/2005

潮騒・神島 ヤリマショ船か

 
 日本全国広しと言えども 一年を通じた年中行事がほとんど原点のまま 民間に残っているところは少ないであろう 三島由紀夫の『潮騒』で 一躍有名になった神島(小説では歌島)がそれである 小説ばかりに気を取られがちだが なかなかどうしてこの小さな島が 民間信仰の宝庫なのである 小説にもある通り周囲四キロしかない小島である 八代神社があり 灯台があり 観敵硝(かんてきしょう)があり 小説の舞台そのままである 戦後の或る日一人の青年がふらりとこの島にやって来た 青瓢箪のような 結核患者のような酷く陰鬱な青年だった 或るお宅に民宿し 静養の為だと言い 毎日ふらふらして何をしようと言うこともなく 八代神社の石段の途中にある神島小学校のネコの額のような校庭の鉄棒に身をよせて モノ思いに耽っていた 村の人達は気持ち悪がって近づかない そうして二ヶ月が過ぎようとしていた頃 彼は猛然とペンを執って書き始めた それが小説『潮騒』であった
 
 全国には正月の行事とか 春祭りとか 夏祭りとか お盆の行事とか 秋のお祭りだとか ごく限られた一部分の行事が残っているのはほとんどである ところがこの神島ときたら 正月の行事から 最後の暮れの行事まで一貫して すべてが揃っているのだから 驚きであろう 離島であったことも幸いしたのかも知れない 一般庶民の普段の暮らし向きはこうであったに違いないと思わせる重要な手掛かりが幾つもあって 民俗学を目指す人には 研究対象としては絶好の島になろう かの有名なのは『潮騒』だけではないのである
 
 神島は 名古屋や大阪から賢島行きの近鉄に乗り 鳥羽で降り 目の前の港・佐田浜港から 小さな船で渡船する 伊勢湾の入り口 伊良子水道の直ぐそばにある 約五十分 神島到着であるが 海の荒れた日は船は出ない すべて小久保性で ほとんど屋号か名前だけで呼び合う いつもは豊富な漁場でもあるので 釣り人に人気があるスポットであるが 最近は一泊掛けで 鳥羽~神島カヌー大会などもあるようだ 人工は六百人足らずであり 家族の和が最も尊ばれている 隠居なりのお祝いをやった老人しか杖はもってはならない 青年はネヤと呼ばれる番所で 共同生活をしなければならない いざ海難事故や火事などに備えて 常駐している為である あれこれ厳しい掟があって 海の守り神である八代神社の信仰を中心にし 習俗・習慣が最も大切にされている
 
 
    <年中行事詳細>
 
 12月13日 正月始め 赤飯・白飯を神様にお供えして 正月始めを祝う
 12月20日 餅つき 先ず寺の餅をつく 一般ではこれが終わらないとつけない
 12月28日 門松迎え 青年が山で松の枝を取り 各セコに分ける 宮餅爺など大きな松
 12月31日 豆まき 大晦日の夜 宮持ちの家から 一斉に豆まきをする
 12月31日 モローモ配り 蜜柑の上に乗った昆布のモローモを配り歩く 上げ方受取り方がある
 12月31日~1日 ゲーター祭り ぐみの枝で輪を作り出す それを日輪とし 篠竹だけで若者が
          天高く 輪を持ち上げる ゲーターとは迎旦との説があるが 分からない
          ゲーター祭りの一環として
         (アワ・サバ作り)~(アワ・サバとり)~(ヒナタノ祭り)などが目白押しとある
 1月1日 わかど水と波切不動開帳 年男が共同水道で 潔斎し 一番の水を汲む それで
          最初の御飯を炊く わかど水の男には声を掛けてはならない 海難事故を防いで
          くれる霊験あらたかな波切不動は 同時刻大峰山の修験者か身内で開帳される
 1月2日 船祭り 漁船の人達が八代神社に大漁祈願をする 巫女による浦安の舞の奉納
 1月2日 磯祭り アワビの豊漁を祈願する海女達が 海神さまに祈祷し お祝いをする
 1月2日 チョンナ初め 島の大工・左官などがチョンナを使う真似の儀式をし 無事息災を願う
 1月3日 三日月さん お椀に12粒の小豆を入れ 三日月さんと呼び 家長から順に 生の小
          豆一粒ずつ飲み込む 悪霊退散のおまじないで 終わるまで生臭物は口にしない
 1月4日 獅子舞と万歳 潔斎風呂を浴びた青年が獅子舞を舞う 歌謡に見るべきものあり
          漁業組合から周り 順番があるが 順次悪魔祓いをする その後万歳に移り寿ぐ
 1月4日 年祝い 米寿・喜寿・還暦の者達が紅い半纏を着て お祝いを受ける 終わった者は
          杖を持つことが赦される 八代神社やお寺でヤンヤの歌や囃子で賑やかだ
 1月5日 牛王宝印と里おり 氏神の爺と口米の爺が薬師堂に籠もって おまじないをする
 1月6日 八幡祭り(六日祭り) 宮持とお礼参りの爺を含めた12人の道者が 大松明を持って
          八代神社に詣でる 道者は災厄のあった者がなることが多い
 1月6日 サバ釣り ゲーター祭りで アワを天高く持ち上げた若者で サバを釣る真似をし 家内
          安全 大漁を祈願する
 1月7日 七草 この日より漁が始まるので 4時半から ナズナを七草に見立て まじないを言い
          ながら七草を一家の主人が叩く それを小皿に上げて神棚に供える 残ったナズ
          ナで 七草粥を作り食べる 息災を祈願する
 1月10日 金毘羅さん 金毘羅さんの掛け軸にお供えをして おひねりなどを人々に投げる
 1月11日 八代神社例大祭 島民全員が仕事を休み 船に大漁旗を掲げ 氏神さまへ祈り
          上の座・下の座・別火の座と分かれて宴会をする
 1月11日~12日 伊勢代参 伊勢代参詣での出船の杯事を行う この時歌われる内宮・外
          宮へ捧げる歌はなかなかの古謡である 一泊二日の日程で 宮持爺中心にして
          厄を持つ者も 島民全員の付託を受けて代参する
 1月14日 モーチの粥 白御飯の上に餅を乗せて炊いたものをお供えし その後家中で食べる
 1月15・16日 お日待 15日夜 御飯・なます・野菜・菓子などをお供えし 16日明け方
          家族全員で お日さまを拝む
 1月18日 大漁祈願 漁協と組合で創られた絵馬が八代神社に奉納される 薬師堂や弁天
          社でも 同じ大漁祈願がされる 浜の祝いとも言う
 1月18日 青峯山へお参り 磯部町にある青峯山正福寺は志摩の守り神である 漁協はお参 
          りに 運搬船の人々はお籠もりに行く 青峯山は志摩で一番高い山である
 1月20日 エビス講 エビスさまは各家にある 稼ぎ始めで この日正月飾りをすべて取る 鮑の
          一対に御飯を入れて供える 翌日戸主はそれを少々頂く
 1月21日 太子講 大工・左官の神は聖徳太子であり 当番の家では掛け軸を掛け お参りを
          する 22日へ掛けて 杯ごとが始まる
 2月初午 絵馬上げと日待 男女の本厄の者は夜中12時を過ぎると 八代神社に絵馬を奉
          納に行く 神社に行く途中人に逢っても口を利いてはならない 賽銭は後ろに投
          げる 絵馬はすべて自分で描いたものである
 3月3日 桃節句 桃の花をおみきすずに挿し 家族全員でお神酒を飲み お赤飯と5品もしく
          は7品のご馳走を食べる ヨモギ餅も作り 神・持ち船・海・庚申にも供える
 3月10日 金毘羅さん 漁協の宿元で 金毘羅宮の掛け軸を掲げ お祝いをする 海上安全
          大漁祈願をして 上から下へ下から上へ二回お酒が廻される 鳥羽にある金毘
          羅宮より頂いて来た御札を各自に配る 1月の精進とは違い 大宴会となる
 旧3月25日 嘆仏 寛政12年3月25日に 神島の漁船は大風によって 121名が死んだ
          殆どが若い働き手であった為に 尾張や津から養子を貰い受け 跡を継いだ 寺
          で各家の戸主が参列して供養を行われる 隠居なりをした爺は百万遍をする
 4月8日 卯月八日 子供達はお寺で貰った甘茶を擦って 墨を作り字を書く 家々では山から
          取って来た躑躅(つつじ)の枝を外から刺す 虫除けのおまじないである
 5月5日 菖蒲あげ 菖蒲にヨモギ・茅・イタドリを一緒にし これらを先のある藁で巻いた菖蒲の
          束を12本作り 神棚・エビス棚・海神・船霊・庚申などにお供えする 菖蒲を指
          したおみきすずのおみきを頂き 赤飯を食べ 菖蒲湯に入り祝う
 5月28日 オケゾコ 宮持の奥さんが海草(ワカメ・アラメ・天草)がよく採れるように祈る行事
 6月11日 ゴクアゲ 鮑の豊漁を祈る行事 宮持は島のすべての船にインキモモ(青い実がなる)
          の枝を刺して廻る 島には榊がないので これに代わる 厳粛な儀式が続く
 旧6月16日~17日 ゴサイ 海女の日待 海女の人達の集まりである磯辺講の女性は伊雑
          宮や青峯山に 安全祈願しに行く 今は完全なリクリエーションになっている
 7月15日 天王祭 天王さまは悪病祓いの神である 名古屋の津島神社の代参とか 夕方浜
          へ三々五々提灯を持って集まり 神社に詣でる 赤飯を炊いてお祝いをする
 8月1日 <お盆の始まり> 七夕 早朝四時半に南の山から 竹を三本取って来て 飾り付け
          をする 短冊には「ぼんこいぼんこいせみがなく」と書かれている それにこの日から
          夕方になると 竹に吊るしてある提灯に灯が点され 六日まで続く
 8月7日 ナヌカビ 午後五時半オショロ船の迎え船である笹船作りが始まる 竹の先が着いたま
          ま笹の葉を船に作り 合歓の木を差し込む 竹三本と合歓の木は女性が朝五時
          に 裏山から刈り取って来る 12杯の笹船(閏年は13杯)を作り 提灯を着けた
          まま七夕竹を一緒にし乗せる 女性や子供達が「ご先祖さま みんな仲良く乗っ
          といで」と言いながら流す 祈りの一瞬だ 合歓の木は櫓(船をこぐロ)である
 8月10日 桂光院での施餓鬼 村の寺桂光院で 村全体の仏の供養として隠居衆や梅花講
          の人々が参集して お経をあげる 終わると和尚から 茅に二色の短冊をつけた
          セガキバタを各家に贈られる 家々ではこれを仏壇に飾る ハタには「南無十方
          仏」と書いてある
 8月12日 薬師堂での施餓鬼 海難で不慮の死を遂げた人を弔うのに 隠居衆が施餓鬼する
 8月13日 仏壇飾り・迎え火 初盆の家では7日かた吊るしてある軒提灯を 一般ではこの日
          から玄関の中に吊るす 仏壇には しょうろござ(精霊茣蓙)を敷き 茄子の迎え
          馬・麻の芯にソーメンを巻いたソーメン杖・果物・施餓鬼旗・組団子などが飾られ 
          る 組団子は13組とか15組の奇数である 先祖は一年分をこの三日間で食べ
          ると言われてる 従って女性は毎日三度三度の食事を お盆中にあげるのだ
 8月13・14日 演芸大会 賑やかに騒いで 先祖とともに楽しむと言われ 八代神社の広場に
          舞台を作って みんなで演芸会を楽しむ 隠居なりの爺が顔を揃え 女性は切っ
          たスイカなどを配り 夜8時から12時過ぎるまで 飽きることなく続けられる
 8月14日 墓参り・ハッポーデン 早朝より寺から御詠歌が島中に流れ 嫌が上でも盆の雰囲
          気が盛り上がる 絽の和服に威儀を正した一家の主人が墓参りに出向く 親戚
          が多い家は 百軒は廻ろうか 梅花講(念仏講)の婆さん達は初盆のお宅を年長
          順に回る 黒服に身を包んだ人達が島中を行き交う 正午になると家族で墓参
          りをする 夜になるとハッポーデンが行われる 寄せ太鼓が鳴り 隠居衆が威儀を
          正して来る 茶屋と言う二間四方の場所で 杯事の準備をしている 初盆の牡丹
          灯籠を持った家のものが親戚の先頭を立って登場する 杯事が始まり 隠居衆
          が 島民の中央に進む すると太鼓の音とともに ハッポーデンの歌が流れる これ
          は新盆の人々の供養の手助けになろう 隠居衆がハッポーデンを歌うのである 
 8月15日 大施餓鬼・精霊送り 早朝から 寺では大掛かりな供養が始まる 村全体に対して
          である初盆から年忌へと供養が続く この施餓鬼で頂くハタに五色刷りの短冊が
          着いている 「南無広博身如来」「南無離恐畏如来」などと書いてある 施餓鬼
          が終わると このハタをお墓に供えに行く 昼頃から各家でお供え物を下ろし 墓
          へ新たにお供えをし しきびを焚き 一家をあげてお参りする どの墓でも無事ご
          先祖さまが帰られるように 茄子の馬とソーメン棚がある そして夜になり送り火を
          焚く 夜遅ければ遅いほどいいとされ 11時半から12時過ぎまでがピークである
          それからしきびやお供え物を浜に出て 海へ流すのだ
 8月16日 浜施餓鬼・灯籠送り・三文講 16日になったばかりの頃 浜施餓鬼が 隠居衆で
          ひっそりと行われる その日の夜桂光院で灯籠送りが行われる 主に初盆の家の
          供養事である 御詠歌や和尚の読経など厳粛なものである この前五時には三 
          文講と言って 十三仏を祭るお念仏が念仏衆と隠居衆で行われる
 8月17日 餓鬼の棚焼き 夜中の2時過ぎに 女性達が六地蔵や無縁仏のしきびやジン木
          などをうず高く積み上げて燃やす その後男子青年団も加わり 太鼓を叩きなが
          ら 歌ったり踊ったりする 餓鬼の棚焼きで歌われる歌や浜踊りの歌は古謡として
          現在も残っているが 今は歌謡曲で済ませているようである しみじみしたいい歌だ
 8月15・16日 盆踊り 浜に櫓を組み 青年団主催で盆踊りが行われる 以前の盆踊りは山
          踊りと称して 吉野の大峰山に代参に行く歌が中心であったが 今ではフォークダ
          ンスに代わってしまった 時代であろうか 山踊りの古謡も素晴らしいのであるが
 8月18・19日 ウラサマ(海神祭り) 宮持夫婦と海女が くじ引きで 神様のご機嫌伺いをす
          るお祭り 海女は白装束で海で禊をして 宮持宅で杯事をしてから行く
 8月20日 ウラ盆・百万遍 この日はウラ盆と言って 朝仏さまに組団子や掴み団子をお供えす
          る 夕方四時から百万遍が始まる 大きな数珠を手に 鉦を合図に各家から各
          セコの浜へ集まって来る 隠居衆が集まって来た人の悪いところに 数珠を当てて
          疫祓いをする
 9月9日 菊節句 菊の花を浮かべたお神酒・赤飯・なますを神棚へ供え 家中でそれを頂く
 11月24日 ダイシコ 弘法大師をお祭りする行事 台所・エビス棚・神棚・仏壇にお供えし
         その後船霊・海・庚申さまへ赤飯を供えお神酒を注ぐ 夕飯に家族で赤飯を食す 
 庚申の日 2ヶ月に一度 庚申 庚申組は全部で七組に分かれている 宿元は順番で行われ
         宿元では庚申に掛け軸を掛け 握り御飯に餡を乗せたものを供える 当日の晩に
         各家の代表者が宿元へ集まり 般若心経を唱える
 12月1日 すすきはき祝い 松の枝を山から取って来て 三本の小枝を三箇所で束ね一本とし
         一本は神棚 一本は大ズスと言ってお釜様に 後の一本は部屋のあちこちを掃く
         ススを掃く時は蓑笠を被ってする すすはきは12月2日から6日までとし 遅くとも
         8日の事納めまでは済ませておく
 12月8日 コトオサメ コトオサメ或いはオクリガミと言って 島民の一年分の災厄を ヤリマショ船
         に乗せて祓い流す 隠居衆・宮持・口米の爺・ニノハンなどが薬師堂に集まって ヤ
         リマショ船を作り出す 長さ2㍍ 巾50㌢の小さな船で 木と竹の枠組みに 茅の 
         葉を編んで作る 船の先端に紅いシデを着け 中央に紙の白帆を立て その後ろに
         牛頭天王(ごずてんのう)と書いた紅い幟を立てる 船には船頭と書いた顔の絵を描
         き 人形を7つ作る 宮持とニノハンのいる家の若い衆が それを持って島中を廻る 
         待っていた島民は 各自の身体をなすりつけた茅の葉三枚と一掴みのお米を船に
         乗せる 一旦外に出たら 船にそれらを乗せるまで家には入れない 持って来た茅を
         一本たりとも落とすなと言いながら 茅やお米で山盛りになった船を 晴天の日はカ
         ミンジマから流し 風の強い日はウラ浜から流す 「ヤリマショ ヤリマショ イズモノクニ
         ニオオヤシロ」と 鉦や太鼓を鳴らしながら 囃し立て 家々の一年分の災厄を見事
         に流してしまう
 12月11日 当渡し それまでの宮持から 新しい年になる宮持へ 氏神箱が渡される儀式であ
         る 氏神箱には綿津見大神の軸が納められている 渡し終えた後 隠居衆・組合
         長・幹事・新年度の宮持が呼ばれ 古い宮持の家で大宴会となる
 12月25日 カイサイ カイサイとは漁業組合の会計整理と決算のことである 決算が済むと 口
         米の爺が新しい口米の爺に マンドゥサン(お札箱)を引き渡す 終わると 古い口
         米の家では 新しい口米の爺と漁業組合長と組合役員を接待して すべてが終了
         する   
 
 どうですか こんなに多くの民俗行事が 今もってやられているんです あの『潮騒』には こんな島の生活の状況が隠されているのです 島中にいる人は子供時分から見て そうして大きくなって行き 生活全般を支え 人生をも左右しています 信仰心は自然に植えつけられ 喧嘩・騒擾ごとがないばかりか 島民の皆さんが仲良く暮らしているのです 窮屈だなぁと思っている方は 都会の人なのでしょう これが激しい潮の流れの伊良子水道で 漁業を中心に営まれて来た島民の智恵とでも言いましょうか こう言った社会の仕組み自体が こんな軽薄な時代に 明らかな一石を投じていないだろうか 謙虚に勉強したいものです そして多分多くの方々に 幼児殺人事件とか JRの脱線事故とか マンションの強度偽造事件などでトラウマになっておられませんか 来年こそ 良い年になりますように 真摯に祈り せめてヤリマショ船とともに 今年の災厄を流してみましょう 
 
 
 
 
   表題の口絵の写真は 写真家の森武史氏の写真をお借り致しました 
   場面は宮持夫婦の写真です 背景にあるのが ゲーター祭りで使われる
   アワと言うグミの枝で作られた日輪です この記事は5年間この島に私が
   通って年中行事の記録を調べた結果です 簡単ではありますが 掲載し
   再出発の船出と致しましょう                   (櫻灯路)
10/12/2005

日本最古の芸能尽くし

 
      
   日本最古の芸能尽くしの大祭典
 
      奈良・春日若宮神社のおん祭り (12月15日~12月18日)
                   http://www.kasugataisha.or.jp/o_index.html
 
 
 暮れも押し迫った頃 大和士(やまとざむらい)と田楽座(でんがくざ)が 奈良・春日大社の摂社である若宮さんに参詣すると言うおん祭りですが このおん祭りに出される芸能の数々こそ 日本芸能史上に燦然と輝く屈指の大祭典なのであります 先日世阿弥のことを書かせて戴きましたが 実はこの記事を書きたい一念で上梓された記事でありました 世阿弥が活躍した時代には このような古い形態の芸能が 完全なカタチで残っていたであろうと思われ 能楽大成以前には これらの芸能が盛んに入り乱れていたのではなかろうかと 容易に推測されるのあります 舞楽・田楽・細男(せいのう)・神楽・申楽・和舞(やまとまい)・巫女舞(みこまい)・東遊び(あずまあそび)・稚児流鏑馬など 枚挙に暇がないくらい出まして その上奉納相撲や後宴の能楽までもあると言うのですから 驚きです 今から千年もの昔から 大切に引き継がれて行われて来たこのおん祭りに 万一敢えてないとすれば 古い順から 伎楽(ぎがく)・声明(しょうみょう)・風流(ふりゅう/田楽に入れても可)・狂言・歌舞伎・舞踊ぐらいなものでしょう 日本のほとんどの古い芸能のすべてを このおん祭りで一堂に見られるのですから 堪りません こうした混沌とした多種多彩な芸能の中から 現在の能楽が少しずつ醸成され 育って来たものであります そう言う意味から申し上げますと このおん祭りの意義は深く 大変に重要で貴重な祭りに他ならないでしょう
 
 
   ≪ おん祭りの日程 ≫
 
 12月15日 
        午後一時 大宿所祭(おおしゅくしょさい)として 大宿所詣    春日大社にて
        午後二時半~六時 御湯立ての行事                同上
        午後五時 大宿所詣                          同上
 12月16日
        午後二時頃 大和士(やまとざむらい) 宵宮詣          若宮神社にて
        午後三時頃 田楽座(でんがくざ)  宵宮詣            同上
        午後四時  宵宮祭                            同上
 12月17日
        午前0時   遷幸(かんこう)の儀       若宮神社から 参道の芝舞台まで
        午前一時   暁祭                           芝舞台にて
        午前九時  本殿祭                          芝舞台にて
        正午     芸能集団によるお渡り式   興福寺旧跡~一の鳥居~芝舞台へ                        
        午後十二時五十分頃より 南大門交名の儀/最後尾の大名行列が芝舞台にて
        午後一時頃 松の下式            一の鳥居近く 影向(ようご)の松にて
        午後二時頃 競馬                          春日大社境内にて
        午後二時半 お旅所祭                       芝舞台にて
        午後二時半頃より 稚児流鏑馬及び小笠原流流鏑馬   春日大社境内にて
        午後二時半頃より 午後十時頃まで               芝舞台にて
                     神楽・東遊・田楽・細男・申楽・舞楽・和舞など挙行される
        午後十一時  遷幸(かんこう)の儀            芝舞台から若宮神社にて
 12月18日
        午後一時   奉納相撲                      春日大社境内にて
        午後二時   後宴能                        同上
 
 以上が おん祭りの日程の概要です 重要なお祭りが こうしててんこ盛りで執り行われるのです 若宮さんの神様を お旅所へお連れして 管弦・舞踊などをしながら 神人饗応の儀式をし 最後再び神様を 若宮さんにお連れすると言う一連の流れなのです
 
 
    ≪ 見所・聞き所 ≫
 
 ① 宵宮詣 宵宮祭 遷幸の儀
 
 12月16日~17日に掛けて 一つの流れがあります 午後二時から 大和士(やまとざむらい)や田楽座(でんがくざ)が 若宮神社に行き 参拝する行事です 午後四時には 春日大社本殿と若宮神社の祭典が 無事に挙行されるように祈る宵宮祭が 引続いてあります 社殿は御幌(みほろ)と呼ばれる白い布で覆われます その後ですが 最大の見所があります 夜半十一時半頃 春日大社の宮司と神職の方々51人が 若宮神社へと向かいます 宮司が 本殿内に入ると 神職達は白い手袋を着け 榊を手に持って 本殿下で待機します 午前0時ピタリに 境内の明りと言う明りはすべて消されます 楽人(がくじん)による『乱声(らんじょう)』の笛の音が絶え間なく奏される中 宮司が 御殿に昇り 秘文(ひもん)の祝詞を奏上した後 若宮神が出御(しゅつご)されるのです
 
 その後です 神職達が「オォ~~ オォ~~」と言う警蹕(けいひつ)の声を出すのですが ここが素晴らしい感動する場面です 若宮神は神職の持つ榊で 十重二十重(とえはたえ)と囲まれて 参道を 一の鳥居の方向にあるお旅所(おたびしょ)へ進むのです 先導役が 若宮神が歩く道を 綺麗に清めるように 松明(たいまつ)を引きずりながら 進んで行くのですが 神がいらっしゃることを実感出来る瞬間で 感動のあまり何度か涙をこぼしたことがあります そうして若宮神は 芝舞台(9㍍四方ある天然の芝で出来た舞台)の中央にある祠に移られるのです 最初の聞き所見所でしょう
 
 
  ② 暁祭(あかつきさい)
 
 午前一時頃 若宮神社から 約1キロ離れた一の鳥居近くのお旅所に 一行が到着すると お旅所前の瓜灯篭(うりとうろう)に火が点され 芝舞台にも篝火(かがりび)が焚かれます お旅所へ神が移った象徴として 盛り砂の上に 松の枝を立てられます この厳かな瞬間は堪らない魅力です 暁祭の最後に 宮司による祝詞が終わると 神聖な巫女達によって 社伝神楽が奉納されるのです 新鮮で 澱みない空気が 張り詰めたように ぴ~~んとしていて 厳粛な一瞬です 泣きたくなるような美しさです
 
 
  ③ お渡り式 お旅所祭
 
 お旅所で待つ若宮神のもとへ 日使い(ひづかい)や巫女や芸能集団が 行列を作ってやって来ます この祭だけは 興福寺主催となっています ですから旧興福寺境内から出た行列は 三条通りを 旧南大門跡を通り 一の鳥居へと進んで来ます 一の鳥居をくぐり 春日宮に向かって 右側に 影向(ようご)の松と呼ばれている松があります この松は 何を隠そう あの能舞台の松そのものなのです ここを通り過ぎる時 芸能集団は 必ず ひと節か一定の舞を この松の前で舞います 松の下で演じられるので 松の下式と呼ばれている仕来りになっています すべての能舞台は これを模して作られているのです 是非ご理解下さいね そうしてここで待って見ていると 日本の古き芸能のほとんどが見れることになるのですから 嬉しいですね おん祭りの一大イベントの最大の見所でしょう 
 
 
 以上の三点の見所聞き所を披瀝致しましたが まだまだこのおん祭りには 熱心に見れば 見るほど深い神域があります 但しおん祭りは 信仰に一環としてあるものですから 若宮神のお旅所へ行く時など 特に写真撮影は禁じられています お旅所内や影向の松の前などは 自由ですが 信仰の行事のお邪魔だけは避けたいですね 更に効率的に御覧になられるとしたら 16日の午後四時から始まる宵宮祭から 次の日の夜十一時の遷幸の儀まで 一連の行事として御覧になられたらいいでしょう 16日の宵 神聖な芝舞台で 寒い夜を神とともに厳かに過ごされるとしたら ホテルは17日の一泊でよろしいかと思います 未だ学生時代でしたので 私は何度もこの強行一泊を経験しておりますが 神とともに 夜明けを待つのは いいものですよ 未だこれからの日程で 行かれる方がいらっしゃったとしたら この記事も歓んで戴けるでしょうか
31/10/2005

月とすっぽん 十夜の鉦

 
                                                                                                        真如堂の散り紅葉(本堂裏)
 
 
  真葛ヶ原の若女将に電話をする 「京都に来てるけど 今何か美味しいものはないかなぁ そろそろ鴨の季節じゃないんですか」と差し向けると 「まぁ うっとこ 鴨は長浜ですねん 琵琶湖の鴨が一番と先代から 聞いてはりますけど この時期は長いこと 飛んで来るさかいに 痩せてて まだ駄目なんどすぅ あと一ヶ月待っておくれやっしゃあ 琵琶湖の小魚 よ~け食べて まるまる太るさかいに 12月に入ってからの方がえろぉ美味しいのどすえぇ どうせセンセは この時期はずっとこっちにおまっしゃろ」と言う 他に何か美味しいものはないか 再度聞いた あったあった 魚ヘンに昌と書いて マナガツオである 梅雨時に 産卵の為に 深海からあがって来て 海岸近くに漸く辿り着いたマナガツオを ちゃっかり人間が捕獲してしまう そんな理由で 一旦梅雨時に旬になるが 油の乗った今頃が本当の旬であろう まるで 醤油と味醂と柚子につける幽庵焼きか西京味噌漬け焼きか酒粕漬けの焼き物になる為に 生まれて来たような魚である 嬉しくなって 若女将に それを中心にして食べたい旨を伝えた 若女将は「マルも いいの取ってはるさかい どうぞお越しやっしゃぁ」と 煽りたてるような返事である 今日黒谷に お念仏で行くから ちょっと遅くなるかも知れないことを告げた 今日の精進落としは 村田さんのお料理でいける やや雨で翳んで見える街中を 黒谷へと急いだ
 
 雨の真如堂に着くと 既に念仏講が始まっていた 八つの鉦が 『笹づけ』『仏がけ』などと称して 強弱の節をつけて鳴っている 大きな音で こころの中までしっかりと染み渡る 聞き入っていると いつの間にか雑念が すぅっと取り払われ 難解なお曼荼羅さまがよう見えて来るから 不思議である 
 
 ここ真如堂は 天台密教の御寺である 目の前に国宝の錦糸曼荼羅が 威風堂々と飾ってあり この金剛界と胎蔵界のお曼荼羅には 大日如来さまから 阿弥陀如来さま 釈迦如来さま 薬師如来さま 観音菩薩さま 不動明王さま 愛染明王さま 地蔵菩薩さま 毘沙門天などの四天王さまなどの諸菩薩と 餓鬼畜生の世界まで 理路整然と余すところなく この世の成り立ちが描かれている 曖昧模糊とした世界などではない 私はどこに存在するであろうか お曼荼羅さまを拝む度に いつも神妙に考え込む そしてこの宇宙の中に生存していることの 有難さを体現する
 
 私は真言密教の徒であるが 天台密教も 或る意味で凄い 鎌倉仏教の始祖達がみな天台密教で育っているのが目に引く 道元も栄西も法然も親鸞も日蓮も すべて比叡のお山で 修行している 天台密教の始祖最澄の教えの大きな特徴は二つあり 佛教を広める為に 学僧を多く集め 教育に熱心であったこと 法華経を重視し 浄土信仰の土台を作ったこと その二点が挙げられるであろう みな彼らは ただの一度も消えたことがない不滅の灯がともる根本中堂で 必死に修行していた 
 
 今宵の十夜念仏は 足利時代 平貞国の出家話(実際は出家しなかった)から 三日間だけの修行で終わっていた 出家する直前に 偶然にも 運良く執権職に奉ずるのであるが 阿弥陀如来のお陰だと言って 残りの七日間を念仏し 十日十夜念仏をしたことが始まりであった その後に後土御門天皇の勅命により 鎌倉光明寺で このお十夜さんが無量寿経の元に行われ 全国の浄土宗寺院に広まりを見せることになる まさにこの天台宗の御寺からだから 面白かろうと思う 又この天台の寺での念仏衆は すべて京都の人であり 天台の徒として 熱心に真摯に取り組んでいる 表に保元平治の乱の武者絵 裏に蓮の花の絵を 描かれた散華が 堂内高々と舞い上がる 念仏が唱えられる 声明も響く 鉦が鳴り響く どのような狂喜乱舞の世界であっても この念仏講の前では 静かになって行くのであろうか 11月5日から始まり 11月15日で結願となる ちゃんとした寺の行事には違いないが どちらかと言えば民間信仰の要素があると言える 私も いつしか熱心に念仏を唱えていた
 
 土砂降りとなっていた真如堂を出て タクシーに乗り 四条に戻った時は 八時を過ぎていた ヒヤヒヤしながら 料亭の和三土に立つ 若女将が直ぐ現れて いつもの部屋に通される 床の間には日本画家の叔父の絵が掛かっている 大原の秋景色の牧歌的ないい絵だ 「今晩は 芸妓はんはええのんどすかぁ」とにこにこしながら大女将が入って来る 途端に赤面して 注がれたビールを慌てて飲む お茶屋さんでもないこのような料亭で 何度か芸妓や舞妓をあげているが ほとんど客がいる時だけで 簡単なお座敷遊びを演出する為だった 下唇に紅をさした舞妓(一年未満の子)に 一度失敬な振る舞いをした外人を連れて来て以来 この料亭ではお世話になることはあるまいと思っていた だが大女将の一言に いささか反省をせざるを得なかったが 愛情さえ感じられる マナガツオの幽庵が運ばれて来る 熱いもの 冷たいもの 一品一品が運ばれて来る 大女将が年を取らないなぁと話しているうちに 膳がいっぱいになり 座が盛りあがって さしつさされつなっていた 大女将はちっとも姿勢を崩さない しゃきっとしている 私はじんわりと 彼女の優しさに ほろりと涙を垂れる どうしはったのかと言うような声を聞いたように思う 言え こうしてお付き合い戴くとは思ってもいなかったので 有難くと 言葉にはならなかった 真如堂の鉦の荘厳が 耳に残っていたからだ 必ず死ぬなと思っていた手術だったのが 今こうして生きている しかも酒を飲めている
 
 <料亭『菊乃井』の大女将の著書>
 
 お座敷の時が過ぎて行き 大女将に 代金の他に ご祝儀をポチ袋にねじ込んで 「板前さんやお帳場さんに差し上げて下さい」と言いながら 何とか渡す ほんの気持ちだ ことの他美味しい料理であった御礼を申し上げ 大女将の健康を祈って 一通り済んだ後で 座を失礼した さすがに念仏修行の片隅で お経を読んだ後だけに すべてのお料理に手が出ない 特にマル(鼈=スッポン)だけは よう食べられなかった 若い板前さんの運転で ホテルに向かう ワイパーに光る夜道は 万華鏡のように ユラユラと揺れて見えていた
 
 やっと自分ののベッドに横たわる そう言えば 月とスッポンとは 似ても似つかないことを言うが マルと言う呼び名がそうなんだと 妙に納得する 月もマル スッポンの背中もマルで 偉い違いやわぁと思いながら 意識が 次第に遠のいて行くのを感じた
 
 そんな夢を見た今朝であった 目にうっすらと涙を浮かべていた そして起きて直ぐ 夢のあらましをメモした 又 夢の話である ブログに書こうか書くまいか だが少なくともお酒を飲めるまでに 何とか回復したいが 一向にリハビリが進展して捗らない 気ばかりが焦っている証拠だろうか 明日から又一歩一歩頑張ろうと思う
 
  文中の 11月5日~11月15日までの 真如堂十夜念仏は 
  京都の紅葉を迎える直前に実際にある これが終わると 京都
     の街の中は 一気に紅葉の季節を迎える 口絵を 十夜念仏
     の結願の日のお練リと 本堂脇ニ咲く十月櫻を 一般の人に配ら
  れるタレコ止め(小豆粥)と本堂真裏の散り紅葉を 載せてみた
 
     但し本堂真裏の散り紅葉こそ 12月に入らないとなりません
 
 
05/08/2005

ネブタ 炸裂す!

 いよいよ青森ねぶたが動き出した この時期居ても立ってもいられない 既に大型ねぶたは昨日から運行を開始しているが あのお囃子を聴くと血が騒ぎ 肉が自然に踊ってしまうのだ
 
 この暑い時期の農閑期に 眠気と言う邪悪なものが現れる これに対して払いの行事がねぶたである 秋田から青森まで日本海沿岸では広く『ねむり流し』と言う小規模な祭りが 各地で行われている 「ねぶり」が「ねぶたい」になり それが「ねぶた」になったのであろう 県内でもここ青森市だけではない 県内全域にある 但し青森のはNebutaであり 弘前はNeputaである お囃子は青森が豪快な音に対して 弘前は優美なものであろうか 黒石などでもねぶたがあり 南部の下北の各地でもねぶたがある 最大はここ青森のねぶたであり 弘前のねぷたである 特定の神社仏閣の行事ではない 広く庶民の祭りとして 農民の習俗の一環として 行われて来た ねむり流しと同様に 本来は それら作り物は川に流していたのだ
 
 

 
  もっとも暑い時期にやられる 北の大地で生きる人々にとって 一瞬に爆発するエネルギーであり すべての県民によって盛大に催される待ちに待った祭りであるのだ ここにネブタのオフィシャル・ホームーページがある 右下方に体験ねぶたがあって「音を聞いてみよう」と言うコーナーがある PCのボリュームを上げて是非ねぶたを体験して頂きたいのである
 
  http://www.nebuta.or.jp/index.htm (青森ねぶた公式サイト)
        尚このサイトでは実況中継もやっているので ご参照を!
 
 それにしても 豪快な祭りである お囃子は 太鼓 鉦 笛 一団体で ゆうに100人を超す大舞台のお囃子が 付く それに跳人の数や質などが 審査の対象となって 毎年ねぶた師たちは悲喜こもごもである 高さは5㍍ 巾は約12㍍の巨大なものだ 何故高さが5㍍になったか それは歩道橋が出来たためで それより 下に作らなければならなかった
   
 ねぶた一機に対して 約3000人の跳人(はねと)がつく それが20~30機である 壮大な絵巻物語となって 町中にあふれ出す 跳人はガガシコと呼ばれる手桶をぶら下げている 「ラッセラッセラッセイラ~~」と叫んで跳ねるが ムカシは「出せっ 出っせ せいら~~」と寄付やお酒を所望して跳ねたと聞いている 
 
 ねぶたは30人の人力で引く ねぶたの中にジェネレータが稼動して ねぶたに灯りを入れている 6日には ねぶた大賞や知事賞が決まる そして7日は青森湾に 各賞受賞だけのねぶたが繰り出し だるま船の上で 幾つものねぶたが揺れる 水辺に映る鮮やかな色彩 打ちあ上がる花火 港では数十万の人達が 短い北の夏に陶酔する
 
12/07/2005

山のぼせに 雪が降る

 会社の仕事をそこそこにして 表参道の紀伊国屋で買い物を済ませ 酒のアテなどを何種類か作り 風鈴の泣く音を聞きながら つい堪らず博多の山笠の衣装を身に纏った 今まさに博多・祇園山笠の盛り上がりが始まる時である オトコどものあの祭りはとても好きな祭りである 博多祇園山笠である 随分通った 中洲の大将が そんな私を見て一度舁けとのお達しがあり 舁き山(かきやま)を舁いた そのお陰で長法被と水法被が 今も手許にあるのだ 長法被はこの時期 正装であるから どこへでも出掛けられる 下はステテコ一枚 上に綿のダボシャツを着て長法被を羽織る それから博多織りの兵児帯をきりりと締める あっと言う間に博多もんの完成だ これを着ると さすがにしゃきっとして来る そう言えばあの大将は元気だろうか 『山のぼせ』の極致を行くオトコだった 山のぼせとは家事には一切関わらず 祭りのことだけやる人のことを言うのだ 正月も祭りが終わっても そう言う人は貴重な人材でなのあって 博多の祇園さんが そのお陰で成り立っているのかも知れない
 
 今日は12日 いよいよ盛り上がるに違いない 追い山ならしと言って実際に櫛田神社の本番と同じコースを試走するのだ 本番の状況が手に取るように分かる そしてあそこをどうするこうすると話し合うのだ 明日13日は集団山見せと言って 博多から福岡まで一気呵成に走り切る 福岡に入るのは この日だけである 呉服町から 福岡の天神まで距離にして約4キロを走り抜くのだ 勇壮で 通りに立つ見物人を圧倒する 度肝を抜かれた観客は 時を忘れ 興奮の坩堝の中にあるのだ
 
 14日は各町内で最終チェックを兼ねて山を舁く稽古をする 流舁きと言うやつだ 慎重に且つ大胆に 研究をする そして舁く人の順列を指示し 当日の順番が決まる
 
 愈々本番の日 目指すは 櫛田神社の清道旗だ そこを一周して時間の計測をする 短時間であればあるほど凄いことだ 清道旗をぐるりと廻って 博多祝い歌を歌う 祝いめ~でぇたぁの 若松さまよと歌う この名誉ったらない 最高の名誉である それを歌えるのは一番山笠にだけに与えらる 他の山は見ているしかない 本来早朝5時丁度のスタートだが 歌う時間一分だけ見込んで4時59分にスタートをする 今年の一番山は千代流だ それから恵比須流 土居流 大黒流 東流 中洲流 西流 最後に上川端通流と5分間隔で 雪崩を打って走り去る 流とは 町の団のことであり 流を中心にすべてが執り行われる その順番は毎年年番であり 一番山は次の年には最後に廻る 走った後本部からマイクで ただ今のじ~か~ん38秒とか流れる 然しオトコ達は 怒涛の勢いで走り 自分達の町内まで走り切る 途中バケツの水が見物人も構わず 舁き山目掛けて掛けられる 勢い水と言って 欠かせない水であり ヒートアップしたオトコ達の脳天にはイノチの水であるのだ 重さ1トンで 舁くためだけの山である 町内に戻ると 豪華で華麗な飾り山が巨大な容姿で迎えてくれる モノ凄い激しい走りの祭りなのである
 
 1台の山には 約3000人のオトコ達がつく 舁いでいない者は 両手を真下に垂れ下げてオイッサオイッサと掛け声を出す 締め込み一丁だ濡れてもいいように水法被と言う綿の襦袢のシャツを羽織る 地下足袋は爪の多い長い足袋だ 腰のフンドシには山を舁く時に使うための 荒縄(舁き縄と言う)がくくりつけられている 山が動き始めたら 決して止まらない 転倒者が出ても決して止まることはない 走り走り 走り切るだけである 交代で 舁く時の合図は背中を ちょいと叩く まさしくそこには 粋でいなせな博多のオトコ達が どっさり溢れているのである
 
 この祭りの時は 決してきゅうりを食べない 櫛田さんの神紋は きゅうりの輪切りと似ているから 旬のモノでも口に含まないと粋がっている おかしなことに この祭りの間約一ヶ月間 学校給食にも出されない 忌みがそこまで浸透しているのだ 京都八坂さんからの神を勧進して 櫛田さんで祭りを行われるのだが 八坂さんと同じ神紋であり 京都でもこの時期きゅうりは食さない だがこれには訳がある 八坂さんに御神輿を寄進したのは織田信長で 実は織田家の家紋が その神紋であって 神輿にそれがついていたのである その実この神紋はきゅうりではない その神輿についていたその神紋は 正しくは木瓜(ぼけ)の花であり 織田家の家紋に違いないのである そこが堪らなくおかしいのだ いずれその紋はきゅうりの断面に確かにそっくりである きゅうり断ちと言う習慣である 庶民が抱いた神様に対する敬愛と愛着の表れなのであろう
 
 飾り山にも舁き山にも 牡丹の造花を必ず飾る 何故牡丹かと言うと佐賀県松浦郡肥前町にある天然記念物の牡丹と関係が深い そこを守護していた殿様が 秀吉の九州平定の折 町割りに参加しなかった 三河の上と言う殿様は 秀吉の怒りに触れ 殿様の城は焼き討ちにあってしまう その時大切にしていた牡丹の花を奥方秀の前が家臣に言って城から持ち出させたのである 何故秀吉が怒り心頭に来たかと言えばその秀の前に横恋慕したからであって 三河の上は それがなければ出ていたであろうし 死なずに済んだかも知れない それを聞き付けた博多の人達が 二人に同情を惜しまず 秀吉の目をも恐れず 牡丹の花を飾ることにしたのである その名残で 言わば博多もんの心意気の原点の一つになっているのであろう 粋なもんである
 
 毎年本番の櫛田入りは テレビ中継される いわゆるこの祭りは度派手な祭りであって オトコだけの祭りなのである 山のぼせのおっちゃんは 普段何もしない ただ祭りの寄り合いとか言って 家を常に空ける そこをカヴァーするのは奥方で 文句一つ言わないから不思議である さすがに男性上位の九州の風土であろう 然しよく見ると 山のぼせのオトコ達が多いこと多いこと この祭りを のぼせもんの祭りと言っているから おかしい 12月水商売は取り分け掻き入れ時で 猫の手も借りたいくらいなのだが 中洲の飲み屋の大将は平然としている 寄り合いだからと言って ふらりと店を出たっきり帰って来ない さすがに呆れ顔の奥さんでも ただ笑ってすましているだけ 丁度その日 私は仕事で博多に入ったばかりだった ところが大雪で 飛行機も遅れた 夜遅くダンナ様がご帰宅遊ばせた時 眉の辺りに こんもりと雪が積もっていた おかしかった この日重要な会議があったと言うのである 路端で焚き火をし 手を翳して会議をしていたと言うのだ 可笑しかった その夜私は正式に長法被を授与された
 
 おっちゃんが 山の台の上に乗って 台あがりと言う名誉役を頂戴し 赤い鉄砲袋を持って 威勢のいい若者達を束ねて 盛んに大声を出していたのは 夏まで半年も掛かった 毎日家業の仕事もしないでいる 山のぼせの極意のおっちゃんの面目躍如なのである そうそうには台あがりになれる
ものではない 先ず人望が篤く 喧嘩や争議をばっさりと切り捨ててくれる人でなければならない そんな大切な大役なのである 名誉のためにその飲み屋を ここで無料で紹介しておきたい 博多中洲の『川田』である 玄界灘で獲れる新鮮な魚貝の色々を 安値で食べさせてくれる
 
 そもそもこの博多の山笠も 京都の祇園さんと同じである 鎌倉時代に大流行した疫病の退散を祈願した祭りで 八坂さんとまったく意味は同じなのである ところが土地が違えば こうも違うのである 優雅で豪華な京都の祇園さんに対して こちらは勇壮にして オトコを全面に出した祭りであるのだ 全国に広まった祇園さんではある 処違えばまったく違う雰囲気を持つのだ 舁き山も飾り山も その原点は亡くなりし者への鎮魂の施餓鬼棚であったと言う
 
 今年も おっちゃんが台あがりするのであろうか あの雪の日 眉毛にたんまり雪を積もらせたおっちゃん大将である 山のぼせの名誉とは あの雪の日の会議で頂いた 眉毛の雪であるかも知れない ただそれだけのために
 
 最後に 博多手一本でしめたい
 
    よ~~~   シャン シャン
    まひとつしよ   シャン シャン
    祝うて三度  シャシャン シャン
 
           
 
     口絵 今年の飾り山         追い山ならし
         水法被着た博多もん    疾駆する舁き山
         櫛田神社・神紋    舁き山で 鉄砲を持つ台上がり
10/07/2005

夏 水菓子仄か 揺れ行灯

 今頃 京都の町衆たちは 山や鉾を釘を使わず 縄だけで組み上げているのだろう 愈々祇園さんの本番が近い 祇園さんの楽しみには 山鉾巡航だけではない 今日は10日 お迎え提灯の巡航があるだろう 休み山と言って 今は巡航には加わっていないが いずれ復活を願う町衆によって 通りを歩く人々に 残った数少ない山を披露していることだろう また屏風祭りと言って 各家ごとに 家宝の屏風などを展示する日もそろそろである 八坂さんのお印が 提灯に描かれてある この頃になるときゅうりをぱったりと食べなくなる 八坂さんの紋が きゅうりの輪切りとそっくりだからである 蓮花寺では ちょうどこの時期にきゅうり封じと言って 弘法大師所縁の行事があるはずだ 京都には永く付き合って来たが 未だに知らないことが多い 今年 円山公園では 宵々山コンサートもあると言う 鵜飼と言えば岐阜・長良川と相場は決まっているが 嵐山の景勝地でも 9月いっぱい行われるものと忘れてはならない 今年もわくわくする祇園さんのが近いのだ
 
 盆地でただでさえ暑い京都の夏に 欠かせないのが様々な夏の和菓子であろう 喉越しのいい爽やかさな夏の和菓子には目がないのである 先ず代表格は水無月であろう 白黒のういろうの上に大納言を散らし 氷をかたどって 三角形に切った淡白なものである 砂糖は入っているが 口に 
べとっとすることはない わらび餅もいい わらびの澱粉を使ったつるりとした食感が堪らない これらは上七軒の老松のが好きだ 笹屋伊織のさっぱりとした黒豆煎餅も好きだ 下鴨河原町の長生堂長寿庵の 鴨川に見たてた大納言を ただ寒天でくるんだ菓子は実にさっぱりしてていい 八坂
さんの通りにある鍵善良房の葛きりも見逃せない 特にここの葛きりは黒蜜を掛けて食す 堪らない味だ 近くまでご案内したので 南座側にある茶寮都路里もついでに紹介しておきたい 抹茶パフェで大人気なのである 白玉クリームあん蜜を一番の定番にしている祇園小森はしっとりした町屋
の佇まいの中で 落ち着いて頂けるのがいい
 
 かく言う私の自宅では 源吉兆の竹筒に入った水羊羹は欠かせないそして最も重要なお客人に出すものと言ったら 櫻の花びらの流しものだろう 夜中じゅうクルマを運転し 奥日光まで峰櫻か高嶺櫻の花びらをわざわざ取りに行く そしてロゼワインを吉野葛で溶いた中に 一ひらづつ櫻の花びらを入れて行くのだ 細く高いワイングラスに それを入れる 何故とあっと驚く客の顔が 実に楽しいのである 都心から往復500キロの疲れもすっ飛んでしまう 櫻の枝をルーペで覗くと 着々として来春の花芽をつけているこんな時期に 櫻の花の流しものだから 愉快なのである
 
 天幕の奥に カサブランカの花が咲いている 祇園囃子が鳴り響く 淋しそうな音だが どこか華やいでいる 屏風が絢爛たる往時の京都を思わせる 休み山 屏風祭り そして本番の山鉾はシルクロードから遠く渡って来た金銀の緞子が光る 前祭りの鉾9基 山14基 後祭りの山9基が一斉に練り歩く 最も混む場所を追い掛けるか お池通りと新町通りの交差点付近の隠れた穴場で見るか さて八坂さんで行われる鷺舞・田楽舞・石見神楽を見に行こうか 迷いながらわくわくとするところであろう そんなこころが急く時に ふっと甘味を食べたくなるのだ 串団子を連ねたような祭りの提灯が 甘味処に誘う そして鴨川から遠慮がちに吹く風に どことなく揺れているのは気のせいだろうか
 
 
 
  口絵  祇園囃子  稚児が注連縄を切る
        
01/07/2005

鬼の話

 民間信仰の研究は 凄く大事なことです 文字を持っていつも変化しやすい文化の中にある特権階級の人達は実に少数でした ピラミッドに例えれば その頂点にいる人達が文字を持つ文化の担い手でした 処がピラミッドの底辺にいる数多くの人達は 何も持たなかったのでしょうか いや 実は彼等なりの素晴らしい文化を持っていたのです それが習慣・習俗と言われる文化なのです 長い間変化しないまま 研究もされていなかった そこに目をつけたのが 民俗学の創始者柳田國男先生でした このブロフでは 一般の奥様方も分かり易く 理解しやすいように 書いて行きたいと思っています どうかよろしくお願いします 特に今月からは夏祭りのピークにあたるので 一度是非お話しておきたかったのです そこで祭りのパターンと言うのと 民俗ってなんで大事なんだと言うことを話す為 手っ取り早い素材である鬼の話をしたいと思います
 
 先ず祭りのパターンと言うものですが 祭りとは何でしょうか それは神仏をまつらうところから 来ています 神仏に対して畏敬の念を持って敬いそして日頃のお世話になっているのを 感謝する表現が お祭りなのです
 
 先ず祭りをするには 神を勧進しなければなりません 幟とか大きな木だとか山とか塩とかそれらを目標に神が降りて来ます その目標物を神の依り代(よりしろ)と言っています 町や村の外れに大抵小さな祠があります そこは普段神さまがいない場所ですが その近くには必ず神の依り代(村の入り口のノボリなどがあって そこに向かって神は降りて来るわけです お旅所(おたびしょ)と呼ばれる一時休憩所が その小さな祠にあたります そこに天上から降りて来た神様をお迎えします そして神様を神社本殿まで 神輿(みこし)等を使って お連れするのです それから人と神様が一緒になって 饗応におよびます 散々接待して 人も神さんも楽しんだ後 今度は同じコースと方法によって 神様を送ってさしあげなければなりません 最後は神送りと言う行事で終了です ほとんどのお祭りは 必ずこうした手順と順序で行われます ごく一部を取り上げて神輿の部分だとか 山車(だし)のこととかが クローズアップされていますが それはごく一端だと言うことです 本来は違うんだと 覚えておいて頂きたいのです
 
 神の依り代って言うのは いっぱいあるんです お湯だったり山だったり御幣もそうでしょう 川や海や大きな樹木もそう ノボリやハタもそう 紙細工もそう 時には子供だってなるんですから おかしいでしょう ちゃぐちゃぐ馬っ子なんかは そのいい例です すべて畏敬の念から 来てるものです 神様が依りつき易いと考えたのでしょうね さて これからお話する鬼の事ですが 鬼も神の依り代なんですよ だから民俗の中には怖い鬼はいないのです すべてが神様だから 人々の心に再び強いパワーを与えて行く 言わばスーパーマンなのです
 
 平安文学や中世文学では 既に鬼は恐怖のどん底に落とす存在だったのです 恐ろしい存在は 彼等なりに表現すれば 鬼と言うことだったのでしょう 処がよく調べて見ると 恐怖の鬼なんか 民間信仰の中には滅多にいないのです 節分の時の鬼は 邪悪なものでしょうと言うかも知れませんが 所によっては 福は外 鬼は内ってね 言うじゃありませんか 
 
 男鹿半島のナマハゲは 子供にとっては怖い存在でしょう でもあれは違うのです あの鬼は年神様と言って 正月に現れる特別な鬼なのです 言わば神様です 三信遠(三河信州遠州)地方は お祭りの宝庫です 豊橋から出る飯田線沿線にありまして 霜月神楽・雪祭り・花祭り・遠山祭りなど それはそれは多彩にあります そこは主に霜月神楽と言って一年で疲弊した精神や身体に 神々が強いパワーを植えつけに来るお祭りがあるのです このお祭りに出て来る榊の鬼 月見の鬼などが スーパーマン的鬼の代表格でしょう 大釜にぐらぐら煮えたぎったお湯の中に 鬼は自らの手を入れて ぱっ~と水蒸気をあげる それをかぶると 災厄を逃れ 新しい年を息災に過ごせるようになるのです まさしく神のチカラだと言うわけでしょう 観客に湯花(水蒸気)を掛けて 新しい年が来るのを 身体と魂も新たに元気でお迎えしなさいよと祈って還るのです 次から次に現れた鬼は その役目こそさえ違え 皆それぞれに 人々の災厄をすっ飛ばし 安寧と幸福をもたらす善なる神様なのです これを霜月神楽や湯立ての神事とかと呼ばれています
 
 東大寺のお水取りの鬼も 国東半島・六郷満山の修生鬼会の鬼も皆それぞれの役回りがあって 決して邪悪なモノではありません むしろ万一邪悪なモノであっても それらを逆に正義の味方にしてしまうのです 鬼を神様に仕立てて行くのです どうですか おもしろいでしょう
 
 それでは何故頂上の人達に 邪悪な鬼として表現されるようになったのでしょうか それは一般大衆は黙っているけれど 大衆がやっている鬼祭りなどは いかにも奇異に感じたでしょう それは地響きにも似ています 敢えて 鬼を邪悪なモノにしておかなければ 自分達の利権や利益が 大衆
から奪われ なくなってしまうからです 地鳴りのような響きの祭りを 恐怖の眼差しで見ていたのは明白です 下からの突き上げに気づいた公家や武士達は 一般大衆達が持っているパワーに恐れをなしたから そこを敢えて オニと言う邪悪なカタチにしてしまったのです そうした文物に表現されていないスキマの部分を コツコツ発掘し発見して行くのが民俗学の使命であり重要なことなのです 今後のあらゆる創造にはこの民俗のチカラが 大いに発揮されるはずです
 
                口絵 五所川原の立ちねぶた(2葉)
                    秋田・男鹿半島のなまはげ(2葉)
                    三信遠地方の霜月神楽の鬼(4葉)
30/06/2005

夏越し 茅の輪 入道雲

 今日30日は みそかですね 一年を2回に分けていた時代の名残で ちょうど12月の行事とよく似た行事が 6月に集中してあります 今まで生きて来た悪いモノを追い払って頂く 絶好のチャンスなのです 正月様と同じで 古き邪気を払って 新しく生き直さなければいけません そこで今日30日には 日本各地の神社で 胎内くぐりをする行事があります それを夏越し(なごし)の御神事とも呼ばれていますが 茅の輪(ちがやを輪にしたもの)を ただ くぐると言う 割と単純なお祭りです それで新しく生まれ変われるのですから まことに都合がいいお祭りと言えば 言えるでしょう 人間はすべて お母さんの胎内から生まれ落ちるものです 例外はありません そこで 仏教でも神社でも 胎内くぐりと言って 境内にある丸い穴とか洞窟とか小さな鳥居だとか そこをくぐるとご利益があると言われ おやりになられたことはないでしょうか きっと体験があると思われますが 
 
 日本人の特性です 直ぐ古い邪気を捨ててしまって 新しく生き直せるのですから 凄いです 従って韓国の方のように 決して恨みを忘れないと言った国民性ではないのです(ハンと言う思想です) 潮に浸かり新しくなる 湯殿山のようにお湯に浸して新しくなる 清浄な水をかぶって新しくなる 茅の輪をくぐる それは何を一体意味するのでしょうか 色んなことがあっても 日本人は 再生の名人の人種だと言う意味です 再び生き直すこと 凄いことですねぇ 長年に渡って培われた 民族の智恵とでも言いましょうか さぁ暑い夏だぞ 身体に気をつけて頑張るんだぞと言われるような気になります とても素敵な行事ですね 
 
 夏本番で 何をイメージされますか 白い雲 百花繚乱 金魚すくい 綿菓子 ぼんぼん 宿題 酔芙蓉 お盆 盆踊り プール 屋台 夜店 犬矢来 打ち水 浴衣 雪駄 信玄袋 アイスクリン 噴水 風鈴 スダレ 夕立 夏祭り 花火大会 海水浴 茄子 駄々茶豆 鱧 うちわ 扇子 迎え火 送り火 お囃子 スイカ 日焼け 七夕 星座 ほうずき 虹 朝顔 冷麦 白玉 昆虫 雷 蚊取り線香 暑中見舞い 土用の丑の日 登山 汗疹 水羊羹 戦没者慰霊 終戦記念日 原爆記念日 高校野球 大文字焼き ビアガーデンなど結構ありますねぇ 7月1日に入ると直ぐ七夕の入り 7日には満願で 七夕流し それが七夕の古い伝統的行事です そして夏祭り本番になるのです 愈々下期後半の生活が待っています 映画『雨あがる』の最後のセリフのように さぁ頑張って生きましょう と言いたくなる日々ですね 暑さに向かう折皆さんも 充分 お身体をおいとい下さりまし
 
                  口絵 茅の輪くぐりと茅の輪の制作現場
 
                  (注) 夏越し=読み方は 『なごし』
17/06/2005

ネブタ狂乱

 

 久し振りに 暇な金曜日を送っていると 青森ネブタの千葉作龍氏から 連絡があった 

しばらくぶりである 単なる挨拶程度だったが うれしかった 

彼は青森ネブタの第一人者である 

在はどこまで終わってるかを聞くと 未だ骨組みが終わったばかりと言う 

更に拍車が掛かって直ぐに骨組みに和紙を貼る作業が続き 真っ白なフォルムに 彩色が施される 

最後は 目だ 目ですべてが決まる 

これからが本番で それを前に 単なる気晴らしの電話であったのだろう

 

 昨年のネブタが終わって直ぐ 来年の構想に掛かり 12月 描いたネブタ絵を持って スポンサー廻りをする 

大抵3社か4社を受注する 真冬に今年のネブタの準備をする 

4月 青森港のアスパム脇に建つネブタ小屋で数台のネブタ制作の準備に入る 

土台になる人力の台車に木組みが開始される 

あらかたのフォルムが 下絵によって違うが 同時進行だ 

それが終わると針金を巡らして 更に詳細なフォルムを立ち上げる 

中は勿論木組みと針金だけ 空洞である 

空洞の部分に 無数の裸電球が入って それでネブタを中から 光らす原理だ 

その後和紙を全面に貼る それが終わると 彩色を施す 

白い和紙に ロウで線を引く 隣の色と混ざらないようにする為だが 

ロウの部分は 直接光を通して一層の立体的効果を挙げるから 重要な作業だ 

緑・赤・黄・紫・黒・灰色などの色を使う 

最初に何本かの筆で ロウに沿った線引きをして 思い切ったデザインを決定する 

それからフォルムの彩色だ そして最後は描いた武者などの顔の部分に 目を入れて完成である 

最後の目を入れるところが 文字通り眼目である ネブタの良し悪しが決定される

 

 そんな過程で ネブタが出来る 青森の短い真夏に わぁ~~っと一斉に 県民全部のエネルギーが爆発する 

ラッセラッセラッセイラと掛け声が 市内中爆発するのだ 

凡そ30台余 一台のネブタにつき 跳人(ハネト)と呼ばれる衣装を着た人達が ほぼ3000人つく 

本当に壮観の一字である ネブタの後に 鉦・大太鼓・笛を囃す者も約一台につき100人が付く 

ネブタを動かすのは 人力で 引き手と呼ばれる人達が一台につき30人ほど 

それが30台以上にもなる 想像するだけでワクワクする 

一度現地で見た人は 恐らくは決して忘れることはないであろう

 

 当社も 得意先のお客様を ネブタに接待をする 

纏めて招待する方が安上がりである 

広い市役所通りが 人 人 人の波 升席が準備され そこで観覧する 

今年も夏が来たら 行く 8月2日~7日まで 毎年恒例の行事になっている 

この処 ずっと不調で 賞を取っていない千葉作龍氏のネブタが 

一念発起して どんな賞を取るであろうか 今からワクワクして 真夏の最大の楽しみである 

 

 

 

 弘前は ねぷた(neputa)  青森は ねぶた(nebuta)

違いは 弘前は扇型のフォルム 青森は組ネブタと言って 立体的なフォルムであり 

お囃子も跳人も違う 弘前のは優美で 青森のは勇壮である 

私のリストの中にある青森ねぶたオフィシャルサイトをクリックし 

右側の下方にある 体験!ねぶた と言う欄の お囃子を是非聞いてみて頂きたい