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櫻山 櫻塾 櫻ん人

 

 

 我が財団職員二名が学ぶ気象大学校の構内にて 今秋の風情

 

 

 

櫻山 櫻塾 櫻ん人

 

 

Windows Liveの、今までのサービスは終わるらしく、「硯水亭歳時記 Ⅱ」では行き成りアップロードしたために、

したいように出来る編集が殆ど出来ないようになっています。この「櫻灯路」もギリギリまで頑張っていたのですが、

新しくしなければ、いずれ削除される憂き目に合いそうに追い詰められています。大変に残念に思っているところです。

様々な機種が出て参りましたので、あらゆるジャンルに対応するためでしょう。そこで改めてユーザーとの契約書なるものを

隅々まで読み返してみましたら、一切MSNには責任がないように完璧に書かれていました。今回のような大幅な改悪も、

大会社には全く責任がないのです。ネット上での無責任さはこうして増長されていたのかと思うと改めて残念でなりませぬ。

ご承知の通り、「硯水亭歳時記 Ⅱ」は更新しておらず、またこの「櫻灯路」も、今後一週間後にそうしようと思っています。

一度止めていたGooブログの「硯水亭歳時記」に、恥をしのんで取り合えず緊急避難しているところです。

 

考えてみますと、我が財団の櫻山計画はちっとも捗っていないようにご覧なられることでしょう。

禿山にして、勝手に櫻だけを植樹することは決して致しません。狭義の意味では林業の再生を担っています。

広義には日本文化のアイデンテティの一環としての具現化です。無闇矢鱈に櫻を植樹し満足するような集団ではありません。

岐阜山中に目標を定めた後、広い山林の間伐を現在進めておりますが、埼玉県安行にはたくさんの苗木が育っています。

櫻への信仰として、蔵王権現のご請来や宇佐八幡さまや伏見稲荷さまのご請来も御座います。

櫻の研究所の思案も既に完成し始業しています。自然林の中に共生するカタチで櫻の苗木約300種類を植えてまいりますが、

壮大な計画ですから、人を育て、地域と密着し、信仰心を高める、そうした基盤整備が、思ったより遥かに巨大でした。

それだけあれもこれもと欲張りな集団であるのでしょう。ホームページも私たちの交流のブログも一切非公開にして、

御座いますのは、私的機関であることと同時に、売国奴が横溢している現状、公的機関に決して決して頼らない方針だからです。

 

日本の七割は山林、その三割が人工林ですが、今、林業は既に死滅してしまったような分野です。

安いからと言って、住宅建材をアマゾンの密林に、その多くは求められています。憤懣やる方ないのですが、廉価な建売を作ろうと、

多くの業者は凌ぎを削っています。猛烈に抗議したく存じますが、国内では間伐だけで何とかしなくてはならないものでしょう。

地球温暖化問題を一方では声高に叫んでいても虚しい論拠です。ナラ枯れの問題は深刻です。京都の三方を囲む山々は、

特に酷く、真夏から紅葉が始まった風情です。被害にあったナラ類の樹の伐採をしたくとも、地主さまは三代前にいなくなり、

どこにどう探していいやら分からない現状で、もう直ぐ被害樹は三万本になろうとしています。頭で考えるより遥かに深刻です。

 

能面は殆ど木曾檜を使用しますが、伐採してから、面打ち(能面作家)のもとに行くのは実に三十年以上は掛かります。

水につけたり、乾燥したり、種々の工程がありまして、樹の油を適度に取る作業と罅割れの確認作業を終えなければなりません。

秋田檜は何故能面創りに適さないかと申しますと、樹の油が強過ぎて、彩色を施した後、変色の恐れが強いためです。

これは極端な例ですが、林業とは最低五十年先を見越してする仕事です。一代ではなしえず、代々ついでこそなされるものです。

 

哀しいかな、人は十年先も観ることなく、計画だけが幻のように先行し、ほぼ無意味になってしまっています。

私たちは出来るだけ先を見越すパワーを身につけ、公開する段になりましたら、ご迷惑をかけることなく、粛々とご披瀝させて、

戴きたいと心より念願しています。少なくとも今しばらくお待ち戴けまするよう御願い申し上げますとともに、

「櫻灯路」と、「硯水亭歳時記 Ⅱ」をしばらくの間お休みさせて戴きます。長い間ご愛読戴きまして感謝しております。

当面は「硯水亭歳時記」の一本のみの公開で相済みませぬ。是非ご理解のほどをよろしく御願い申し上げます。

 

 

 

櫻灯路

 

  (代 庵の軒下)

 

 

 

 

 しばらくは面袋(めんぶくろ)の中に閉じおき候

 

 

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ダラダラ泣き、でも次ぎの日はケロッとして

 

 

 佐野洋子 作・絵 「100万回生きたねこ」挿画より (講談社刊)

 

 

 

      ダラダラ泣き、でも次ぎの日はケロッとして、思い出すときだけダラダラ泣きました

     佐野洋子先生 追悼

 

 追悼文が続きますが、乳癌の闘病を続けながら、敢然と立ち向かっておられた佐野洋子先生がついに、11月5日午前中に逝かれました。何処となく背筋が寒いのは立冬が過ぎたという時節だけではないのでしょう。最近までお元気だったご様子だったのに、「ヨウコさん 逝っちゃったぁ」と心の底から淋しさが込み上げて参りました。無論大ヒットした幾つかの絵本の作者であるばかりでなく、私は彼女が書かれた多くのエッセイに勇気づけられました。美しさとか優しさとか、先生には無縁なリアリストであったのかも知れませんが、厳しい現実と正直さだけが先生の記憶として残ります。「わたし いる」(講談社文庫)、「あれも嫌い これも好き」(朝日新聞社刊)、「神も仏もありません」(筑摩書房刊)、「シズコさん」(新潮社刊)、「役にたたない日々」(朝日新聞出版刊)など代表的なものですが、どれを読んでも真正直で、それが喩えこちらの受け取り方がそうではないんではないかと勘繰ってみても、決して正直でない筈がないと納得させるに充分だからで、私は自らが不埒で、嘘八百で、不実で嫌な男ではないかと、先生が書いたものから何時も質されたものでした。

 例えば「シズコさん」ですが、散々に母親シズコさんの悪口を書いています。そればかりか身内に対しても遠慮会釈なく、存分に悪態をついているのですが、シズコさんが呆けてから、生理的にも大嫌いだった娘が覚醒致します。「母さんの目が急に少女マンガの星がやどる様に光る。喜びが爆発、顔全体が、まるで赤ん坊が笑う様になる」、「あの母さんの目と顔の表情を見る様になって、私は母さんをさわれる様になった」と。佐野洋子の母親はちっとも優しくなかったのに、そして生理的にも大嫌いだったのに。家事や社交や裁縫や、何よりも他人に親切で有能な方だったらしいシズコさん。母親が弟の家から追い出されて、77歳で佐野家にやってきた母親を、たった2年半でなけなしのお金を叩き、特別介護老人ホームに入れてしまう。長い長い確執の末のことでした。「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」、「何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった」、「私はほとんど五十年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていなかった」。

 誰に対してもズケズケ物を言い、言いたい放題なのですが、どこかに正直さと繊細さの両方を合わせて持ち、どのエッセイや小説や童話にも何処かに救いがあったように思われます。私にとっては、特に正直さという点においてはお手本になる方でした。シズコさんは2006年8月に93歳で亡くなるのですが、その数年前から佐野洋子さんは乳癌に侵されており、母親のお葬式の時は車椅子でありました。乳癌を摘出しても骨にまで癌が広がって闘っていたからです。この「シズコさん」はその年の1月から12月まで雑誌「波」に連載されたものでした。「硯水亭歳時記 Ⅱ」では、あんなに憎んでいたシズコさんの年まで生きて欲しいと、やや残酷なるお励ましの言葉を書かせて戴いておりました。長男広瀬弦さんによりますと、後日お別れ会があるようです。私にもきっとそのお知らせがあることでしょう。北京で生まれ、戦後の混乱期を生きた佐野洋子さんは実に180冊もの本を出版され、今頃シズコさんにでも出会っているのでしょうか。心からご冥福をお祈り申し上げます。1938年北京生まれの、72歳という若さでした。80歳には80の景色があり、90歳には90にならないと見えない景色だあったのに、とっても残念です。

 癌は細胞と同じで、幾ら医療が発達しても同時に正常な細胞まで破壊してしまうので、新薬の開発は甚だ困難なようです。出来るだけ早期発見に努めてまいるべきだと信じます。皆さまにおかれましても、どうぞお気をつけ戴きたく存じあげます。今癌で闘病中の方々がたくさんおられますが、佐野洋子さんのように自ら葬式の差配をし、お寺を決め、墓を建て、永代供養までして、何の後腐れもなく最期を迎えられる方が少ないことでしょう。生き方も人それぞれですが、どうやら死に方も人それぞれなご様子なようです。狭い国土をつまらない40年の生に、お墓は要らない戒名も要らないと言い放って、突然死したこの櫻灯路の亡き主人の生き様も時期が経てば経つほど、その素敵な人生の様々が思い出されることであります。南無大師遍照金剛!

 

 

佐野洋子さんのご遺影 生前 友人のカメラマンに遺影として撮ってもらっていた

 

 

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逸見晴恵さんの壮絶なる死を悼む

 

 

 在りし日の逸見晴恵さん (享年61歳 早過ぎる死)

 

 

 

 

          逸見晴恵さんの壮絶なる死を悼む

 

 故逸見政孝氏のご夫人、逸見晴恵さんが今月21日に亡くなっておられた。享年61歳という若さだ。我が亡き主人が逸見氏とのお付き合いがあり、生前年賀状は、毎年家族全員が写っている逸見家の画像と共に賀状をお送り下さっていた。私が30歳になる前だったか、政孝氏が独立した頃、我が主人と、お忙しい中ご一緒に遊んだことがある。腰痛から回復されて間もなくのことであったろうか。それで彼は殆ど下戸で、お酒は召し上がらなかったが(アルコール性アレルギーのため)、その夜どういうわけか、そしてどちらから誘われたのか、主人に同行し、政孝氏と三四人で渋谷のカラオケ店に行ったことをよく覚えている。歌を歌うのが大好きな私は調子に乗って、井上陽水や尾崎豊の歌を歌っていたが、気付くと私だけがマイクを握っていて、すっかり恐縮し、主人にマイクを渡すと、主人は甲高い声で小田和正や美空ひばりを歌った。逸見氏に差し向けると、どうしても歌えないのだという。まぁまぁテレビに写るわけじゃないんだからと言って、主人が強く促すと辛うじてマイクを持って佇んだ。「僕は一曲しか歌えないからそれでいいか」というものだから、「勿論」とやんやの喝采をし、今や遅しと待っていると、すると何と「イ~~ノチ~短しぃ、恋せよ~オトメ~~」と、あの『ゴンドラの唄』を歌い出した。お世辞にも上手な歌唱ではなかったが、主人の眼からポロポロと涙がこぼれた。逸見氏は半ば音痴かも知れないが、余りにも誠実なその人柄に打たれたのだった。後で聞いたら、カラオケは師匠について相当お稽古されていたようで、晩年あちこちで歌ったのも知っているが、ゴンドラの唄は、彼の十八番だったに違いない。

 あの癌告知の記者会見から、それでも彼は頑張っていた。だってご自宅を新築なされた直ぐ後だったもの。その年の2月から癌との闘いは隠されていた。9月に例の癌告白の記者会見をし、最期は腸閉塞を併発し無念かな退院出来なかった。長男・太郎ちゃんの21歳の誕生日(12月24日)、その翌日の25日にご他界なされ、信濃町の千日谷会堂で、26日通夜、27日の葬儀及び告別式があったが、私たちはその別れの式に出席させて戴いた。告別式の間中、前席にいた大親友のビートたけし氏が周囲に気遣うことなく号泣していたのが今でも鮮明に忘れられない。早稲田大学演劇専修から同時に二人でフジテレビに入社した松倉悦郎アナも大真面目な方であったし、親友の菩提を弔いたいと、定年を前に依願退職し、2002年春から奥さまのご実家である兵庫県姫路市・浄土真宗本願寺派(お西)不動山善教寺で門徒の僧侶になられた。僧としての名は「結城思聞(ゆうき・しもん)」。彼もまた逸見氏に負けない真面目な方で、番組内で後輩アナから冗談まじりで「アナウンス界の田村正和」などと言ってからかわれると、放映中でも烈火のごとく怒って叱責したほどであった。

 逸見政孝氏は、彼の死の13年前弟さんを同じスキルス性(進行性)胃癌で亡くしている。だからご夫人の晴恵さんも相当に体調に気遣っていたようであったが、ご挨拶程度の葉書の往来はあったものの、まさかご本人が夫の死後すぐに子宮頸癌を手術し、爾来それに伴う骨髄異形成症候群(血液の癌)を告げられただなんて。政孝氏死後10年目に、晴恵さんが自著「黙っているの もうやめた」(日本医療情報出版 刊)。そして癌撲滅のためにあんなに真摯に講演活動をし頑張っていたのに。癌患者さんと一緒に出掛けたご自身企画の海外旅行・「いっつ癒しの旅~ガン卒業旅行」は毎年続いていたからどこか安心していたのだが、今年は本人は行けなかったらしい。きっと特別に悔しかったに相違ない。私も一度講演を聴いたことがあるが、実に前向きな方で、未だに信じられないでいる。骨髄異形成症候群は年々抵抗力をなくして行く血液の癌らしく、この四ヶ月間入退院を繰り返していたという。そしてついに力尽き21日肺胞蛋白症にて亡くなられた。そんなに早く政孝氏のもとに行きたかったのか、一報に接し嗚咽してやまなかった。松倉悦郎氏、いや結城思聞師の日々のブログにもその日の記事が出ている。思聞師にとっても大いなる哀しみの中にあるのだろう。お母さんのご葬儀を極限られた方々で静かに密葬して送られた二人の子供たち、太郎さんと愛ちゃんの心根がしみじみと私たち伝わって来る。今頃はあの世で再会され、政孝氏は大好きなコーラで、晴恵さんはお酒で乾杯され、ご苦労さまとでも言い合ってらっしゃるのだろうか。心からご冥福をお祈り申し上げたい。

 尚関西の多くの著名人から逸見政孝氏は関西を裏切ったヤツだという批判が多かったが、彼ほど阪神タイガースを愛した人はいなかった。72歳にもなって道草くっている三文エッセシトにはその情愛のほどは分からぬことだろう。上岡龍太郎や、やしきたかじんなどがその批判の急先鋒であったが、彼らには何も分かっちゃいない。政孝氏が注ぐタイガースへの愛情は相当なものであった上、関西に多くおられる品の悪いほうではなかった。他球団は他球団に対し、必ずリスペクトしていたし、父上さまとも太郎ちゃんとも親子三代に渡ってファンだと自負し大いにタイガースを応援していた。そして家族あげて関西(出身は大阪市阿倍野区)に帰省するとき、あの日航ジャンボ機123便に搭乗する予定だったのだが、晴恵さんが飛行機が弱いからと言って、太郎ちゃんの発案で急遽新幹線で行くことになり、あの盆前の大惨事、大難を逃ていた。音楽家・三枝成彰氏の実弟で映画監督の三枝建起氏も、彼の早稲田の同級生らしいが、赤い豆タンって英語ばかりじゃないんだなぁ、学生時代の逸見は赤く小さなアクセント辞典を始終持ち歩いて、食べてしまうような勢いで必死になって、アナウンス研究会で努力していたものと。服装は常に学生服で角帽で下駄履きのバンカラでまん丸眼鏡を掛けていたとか。尚松倉悦郎氏は放送研究会出身だったとも伺ったことがある。あれもこれも今や遠い記憶となるのだろうか。心から心からご冥福をお祈り申し上げ、願わくば太郎ちゃんや愛ちゃんに過酷な遺伝がなきようにと心底から・・・・。

 松倉悦郎(結城思聞氏ブログ)思聞のひとりごと

  師の晴恵さん関連記事 「逸見晴恵さんと田園調布でランチ」 (何故か後ろ髪をひかれたご様子 ○○氏は江川卓氏のことか)

                   「逸見晴恵さん、ついにお浄土へ」 (逸見家と濃厚な関係があった親友らしく短く深い哀しみが)

 

 

 果たして女を生ききったのだろうか 逸見晴恵さんの早過ぎる壮絶な死 無念の極みなり

 

 

    故 逸見政孝・晴恵ご夫妻にささけ給ふる「金子みすゞの詩」一篇

 

     花のたましい    (金子みすゞ 詩)

 

      散ったお花のたましいは、

      み仏さまの花ぞのに、

      ひとつ残らずうまれるの。

 

      だって、お花はやさしくて、

      おてんとさまが呼ぶときに、

      ぱっとひらいて、ほほえんで、

      蝶々に甘い蜜をやり、

      人にゃ匂いをみなくれて、

 

      風がおいでとよぶときに、

      やはりすなおについてゆき、

 

      なきがらさえも、ままごとの

      御飯になってくれるから。

 

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ハイビスカスの紅い実

 

 

 ハイビスカスの紅い実

 

 

 

       ハイビスカスの紅い実

 

 ハワイにもタヒチにもグアムにもボラボラ島にも南海の島々巡りを数えきれないぐらいしたことがあるが、南海のお花の象徴でもあるハイビスカスにこのような真っ赤な実がなるとはつゆ知らず、不覚にも今日までよく生きてきたものだ。以前当家にはなかったが、叔母が帰って来るとき、嫁ぎ先から種子だけ持ち帰り、庭の片隅に植えたようである。この実をよく観ると、紅くトゲトゲした表皮があって、薄緑色した親指大の種がこの中にある。茶色になったら種子として保存出来るものだという。ふうせん蔓の表皮も恐る恐る剥いでみると、何と鋭い弓状をした種子の小包が出てきた。然もそれは表皮と夥しい細い糸で強く結び付けられていた。杏は自分が取ってきたものの解体だから、興味津々でみつめていたが、こうして楽しいひと時があるのは、杏が庭で色々と集めてくれたお陰である。謝ゝ杏!

 各地で熊被害が出ている。明らかに林業の衰退の結果であり、日本における生態系のトップに君臨する熊のせいではない。足利銅山がその昔開発され、生態系の行き来が出来なくなって、奥日光には日本鹿しか生きていない。爆発的に増えた鹿のせいで、高山植物が食い荒らされ、一部外来種とおぼしき花の楽園になっているが、トンでもない事態である。特に真冬になると、食べ物がなくなり、鹿は樹皮の表層を剥がして、何処までも食い荒らす。ピーーッと鳴きながら疾走する鹿の軍団は相当に危険であり恐怖である。日本猟友会の会員の皆さまがここ数年で圧倒的に少なくなり、街を徘徊する熊だって仕留めることが出来ないでいる。一人では駆除することが出来ないからである。私の場合、アメリカでは銃の所持権があり、自宅のあるサンタフェには厳重にライフルを管理し保管しているが、日本では持っていない。日本の銃規制は極めて厳しく、猟友会の会員さんであるだけで尊敬に値するほどである。免許更新が毎回大変厳しいものだからだ。これはそれでいいと思うのだが、ライフルの所持者も高齢化し、増えすぎた鹿や熊の駆除が極めて難しくなっているせいでもある。

 ナラ枯れだって、林業の危機的状況を表している。ナラ枯れも木の実の不作に拍車をかけ、動物の生態系に多大な悪影響を与えていることは明白だ。絶望的な事態である。日本国土の70%は山林であり、その30%が人工林であるが、今の人工林で息継ぎ出来ている森はホンの僅かである。林業は毎年結果が出る農作物とは違い、少なくとも五十年先、百年先を見据えながら経営して行かなければならないから大変なのであって、昨年吉野の奥千本に行った途中の杉林には極度に落胆させられた。真っ暗闇で、間伐は全然されておらず、植林したままのサラの状態であったからだ。山林は手が掛かるのである。又掛けなければ樹は息継ぎが出来ないで、集団的害虫の被害に茫然として出合うだけだ。里山は、山林と人里の境界線の役目を果たしていたが、それも又高齢化した各地の集落の結果、荒れっ放しのままとなっている。林業専業者は現在どれだけいるのだろう。考えてみるのも恐ろしく辛い話であり、私たちがやろうとしている櫻山計画は、これらの問題と全く無縁であるわけがない。政治など怪しい権力に一切頼らず、先ず自らで人作り。そして山林深く分け入って入ろうと覚悟している。基礎作りで、今は手一杯なのだが・・・・・。

 

      

 

 ハイビスカスの種や ふうせん蔓の種など 杏は興味津々

 

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高柳佐知子先生の個展

 

 

高柳佐知子先生の個展 銀座4丁目のギャラリー・オカベにて

 

 

 

        高柳佐知子先生の個展

 

 今週18日から23日まで高柳佐知子先生の個展があった。僕は極めて繁忙な時期にあり、娘と行く約束をしていたのだが、偶々杏は少々風邪気味らしく、微熱が取れないので、無念かな取りやめてしまった。代わりに近所に住む叔父に行ってもらった。上記個展の画像は叔父が撮ったものである。さすがに展示物にはカメラはまわせなかったようだが、何と高柳先生ご自身がおれら、叔父は親しく話したようである。目の優しい素敵な方だったという。最初、杏の叔父だと言ったとき、先生は分からなかったようだが、従兄弟のRが早川茉莉さんとブログでお付き合いを戴いており、杏が誕生したときに先生から、 「エルフさんの店」 を先生のサイン入りで戴いたと。早川さんとのお付き合いのことも。そうだったわねと、直ぐに思い出された先生は、叔父が購入した高柳佐知子先生の本、「ケルトの国へ妖精を探しに」「イギリス 湖水地方を訪ねて」  (両著とも河出書房新社刊)や、絵葉書数枚を購入したので、気軽にサインしましょうと言われ、遠慮なく、杏宛てのサインを頂戴したようである。

 

          

 

 「イギリス 湖水地方を訪ねて」          「ケルトの国へ 妖精を探しに」

 

 叔父の話では全作品がパステル画で幻想的な美しい絵が30点ほど展示してあり、奥に「エルフさんの店」の原画が非売品をして展示されていたようだ。叔父も気が利かないものである。スケートする女の子の絵はきっと杏が喜ぶはずだと言いながら、何故一点も購入してこなかったのか。叔父曰く、あなた達が行くって言っていたから、余計なことをしなかったまでだと。叔父はあれでも画商の端くれであり、それだけ審美眼を持っているはずだから、代理を頼んだのだったが、それもそうだなと思いつつ、いつかは杏と共に、先生にお逢いしたいと強く念願した。「エルフさんの店」を杏が観ているのを知っている叔父は、原画にすっかり感動をしたようで、何だか胸が熱くなったという。杏がまだ二歳を過ぎたばかりなのに、ちっこいヴァイオリンで、シューベルトの「鱒」の主旋律を60%ほど弾けることや、母親似で背高のっぽの女の子であることや、独り遊びが好きな子であることなど、余計なことまで喋ってきたようである。先生はどんな女の子になるのでしょうと仰られていたようで、何とも気恥ずかしい。でもいつか必ず先生の絵を購入するだろう。

 イギリスは氷河期が永かったせいで、全土肥沃な土地ではない。従って固有種が全くない。あのガラパゴスで110種で、日本には131種と世界で別格の日本なのだが、現在名古屋で開かれているCOP10を注意深く見ている。発展途上国と先進国との間に利益還元というか分配というか、何やらきな臭い。あらゆる生物資源は人類共通のもので、先進国だけが新薬の開発をし、莫大な利益をあげるだけでは由々しき問題である。新興国に利益の還元があって当然であろう。お話がやや逸れてしまったが、来週から連夜BSハイビジョン放送で始まるイングリッシュ・ガーデンの映像をどれほど楽しみにしていることだろう。荒れた大地だからこそ、イギリスではガーディニングが最早国民病とも言っていいぐらい盛んなのである。特にこの放送のうちで「猫のしっぽ カエルの手」スペシャル版 ベニシアの旅があって、29日20時から21時半まで、ベニシアさんのお里帰りのお話がある。これも楽しみでならない。毎年発表になるイエローブックは、僕のもとにも毎年届いている。大好きなコッツウォルズにも行きたいし、新たに認定されたお庭も拝見したいものである。だが美しい庭園を一歩外に出て郊外を歩くと荒涼としたやせた原野が未だにあり、高柳先生が旅したケルトの国=アイルランドはその最たる国土である。キリスト教が流入すると、それまで信仰の神々であった民間の神々は妖精や邪悪な悪魔となり、寧ろ異端視された。アイルランドの国民的聖地である「タラの丘」は、その象徴であろう。我が国ではアニミズム信仰が基となり、古代神道が発生し、その後佛教との融合することによって神佛混交の素晴らしい独特な信仰形態が派生したのだが、アイルランドとイギリスは日本の時代で言えば平安時代から、極最近まで言わば宗教戦争に明け暮れていた。つくづく日本人の自然に対する崇敬の念が強いのを大変誇りに思う。

 高柳佐知子先生のご著書の内容はピュアなものに対する飽くなき信仰であり、そこから透明感のある素敵な絵や文章の数々が生まれてくるのだろう。

 

 

 高柳佐知子先生の素敵な絵葉書 湖水地方のソーリー村辺りだろうか いずれ杏が夢中になることだろう

 

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中国の若き獅子たちへ

 

 

 愛用のドイツ製 切り絵用ハサミ 杏もお気に入り

 

 

 

             中国の若き獅子たちへ

 

 天安門事件の詳細は中国本土では殆ど見られない。勿論検閲があるためであり、事後どのようなことが起こったか、何故かくも酷い格差社会が生まれたのか、このところ反日デモに参加している若者たちは全く何も知らされていない。今回北京で開かれた中国共産党第17期中央委員会第五回総会で、習近平国家副主席(党政治局常務委員)が党中央軍事委員会副主席のポストに抜擢され閉会された。国家・共産党の重要ポストに加え、軍事指導者としての地位を固めたことは、あなた方の近い将来に極めて重要な意味を持っていることを知るべきである。幸いこのブログは中国から多数のアクセスがあるために、多分賢明な多くの諸氏が読んでくれるものと思い、忌憚なく、遠慮なしにコメントしたい。

 反日デモの発端は、革命第三世代である鄧小平氏が政経分離を打ち出し、今日の繁栄に結びついているのだが、その後の第四世代である江沢民氏が提唱し徹底学習させた反日教育によるところが最も大きいものである。事実ちょうど今のあなた方がそうである。第五世代である胡錦濤主席は近隣諸国と連帯と連携を打ち出していたが、軍部が納得せず、本来の保守派である習氏に白羽の矢を当てたのである、習氏の奥様は軍人であり、最も有名な歌手でもある。これから更に日中関係は緊張関係になるだろう。習氏と言えば、我が国の宮内庁にある去年一ヶ月予告ルールを無視し、12月強引に今上天皇に拝謁したその人である。

 こんなにも豊かになったはずなのに、学卒でも就職出来ず、都会と農村部の貧富の差が激しくなったのは、一体誰のせいだろうか。天安門事件以来ひた隠しにされてきた超高級官僚たちの存在を指摘したい。文化大革命で一旦失脚した彼らがその後復権し、特に天安門事件以降強烈な利権を掌握し手放さなかった。彼らは電力もガスも公共事業の利権も一切合財一手に担ってきたのだ。たった1%未満のエリートと称する人々にである。その子孫を「太子党(たいしとう)」と言われる極僅かなエリート集団で、今回選出された習氏はその代表格である。巨大な市場はこの僅かな人たちの手中にある。利権の輪の中に入った人は短期間で巨額の財をなし、それに落ちこぼれた民衆は限りなく貧民に喘いでいるのだ。そればかりか地方にいる小役人ですら、その多くが苦しむ民衆から悪辣に搾取し平気の平左である。

 偉大なマルクスが聞いたら、きっと腰を抜かすことだろう。北朝鮮では三世代にわたって世襲が行われ、中国政府は一貫して反対をしていたが、金雲日氏(三男)を堂々とお披露目をしたところを観ると、中国共産党は黙認したようである。そう言えばそうだろう。巨大な利権の上にアグラをかく太子党を中心とした現在、いやいや近未来の中国政府こそ、北朝鮮とどこが違っているのだろう。同じ穴のムジナでしかない。反日教育で成長したあなた方は本来政府そのものに向けられるはずのエネルギーはトンでもない間違いを犯しているのである。一党独裁主義を告発し、民主主義を勝ち取ろうとし、投獄され、ノルウェイ政府からノーベル平和賞を受賞した劉暁波さん、その奥さんも今でも北京自宅で軟禁状態である。国家統制とは名ばかりで、実質一部の高級官僚の支配下にある君たちは、可哀想である。ウサ晴らし半分の反日デモに現を抜かしている場合だろうか。今日食べる糧、明日食べる糧にもこと欠きながら、偉大な歴史のある中国国家の尊厳を、自らが冒涜し破壊していいのだろうか。これが国連の常任理事国の正体で実態である。

 レアアース問題は欧米にも飛び火した。国際的に尖閣諸島は中国固有の領土だと主張し妥協しないつもりだろうが、明らかにWTO協定違反の大きな問題である。私はあなた方国家の迎賓館である釣魚台に宿泊したことがある。ご一行さまに一棟まるまる使って戴く処遇には大変感激した。特に正門にいる或る衛兵は釣魚台境内に入れる三千輌に及ぶ車両のナンバーをすべて掌握し記憶していることには驚かされた。食事も、ミシュランなら三ツ星に間違いないだろう。多くの中国美人にも驚かされた。だが一切門外には出られず、どんなに窮屈な思いをしただろう。私は二度と釣魚台には泊まろうとしなかった。まことに大きな国家だが、まことに拙く幼い国家でしかなく、革命第五世代となる習氏の動向を見定めているが、君たち若者も、もっともっと大きな目を持てる勇気ある国民に成長して欲しい。清王朝時代末期、世界を見る目があったなら、上海などに租界は出来なかっただろうし、阿片戦争などという馬鹿にされた歴史を持つことがなかったろう。無論日本などという小国にも圧政に苦しむことはなかった。

 魚釣島は一島(国家所有)を除いて、他の島は日本の、一般人の固有の土地である。拡大主義には必ずいずれ限界があることを認識すべきである。中国政府系ハッカーが当ブログを狙い撃ちするのに、私は全く恐れてなぞいない。チベット侵略反対!高級官僚による利権の独占に反対!役人による腐敗支配に反対!新疆ウルグァイ自治権を認めよ!中国の果てしない軍拡反対!民主活動家弾圧反対!国際法無視の貿易摩擦反対!世界と連帯してこその繁栄がある。君たち若者の獅子たちよ、明日の正面に向かって勇敢に進め!!

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オクラの味

 

 

 オクラの花 オクラのツルリとした味がして清涼なり

 

 

 

                オクラの味

 

 

 もう終わりになった夏野菜。叔母がオクラの花を摘んで採って来た。私はさっと水洗いし、水気を完璧に取り、細かく刻み、オカカをふりかけ、生醤油をひと垂らし。オクラと同じような食感がしてぬめっていたが、オクラより新しい新鮮な味が驚きだ。須藤酒造の「花薫光」の冷酒を少しずつ飲む。ワインのような酒と、軽やかなオクラの花とマッチして、そしてこの味は僕を有頂天にした。虜にしたと言ってもいい。オクラの花を作る人と、鎌倉時代から作る蔵元の冷酒とコラボレーションし、まさに頂点にいった瞬間だった。私は、妻に同じように勧めた。妻はオクラの花より、お酒の美味しさに感動していた。あああオクラの花はどうなってしまうのか。箸の先端だけにオクラの花をつけ、ちょっとだけ食べる妻。これって茹でていないんだよ、生のまま調理してみたんだよと言った瞬間、妻の見る目が変わった。こんなに遅くまで咲いてくれたオクラの花、堪能すべきねと言ったっきり、静かに酒の時間と、オクラの風味が広がった。

 私は確信する。美味しいものは皆冒険心と共にあったことを。こんなに美味しいものがあるなんて、恐らく奇跡に近い。二人で、お酒を飲み、たった一つ、オクラの花の味を楽しんだ。あの暑い夏の終わりに、僕たちは何気なく夏が過ぎ去っていった日々を思い出していた。旅もせず、ひたすらイクメンをした日々のことも。妻は大きな宿題を抱えて頑張ったし、僕は完璧なイクメンにはほど遠いが、でもやるだけのことはやったつもりである。でもやっぱり妻は母親でもある。黙り込んで、せっせとキッチンで何かを創り始めた。蕎麦の黒い(そば粉)生地でクレープを焼き、山羊バターをたっぷり乗せ、夏場採っておいたスグリやブルーベリーをただ解凍だけしてそこに乗せ、クレープに包んだ。仄かに甘い香り立つこの素朴なクレープ、僕は何度も舌鼓を打った。生地にぬめりがあったことから、どうやら生地にさえも、オクラの花を僅かに練り込んで入れたのだろう。彼女は多くは出来ないが、でもそれなりに一所懸命なのである。また今週火曜日にあるBSハイビジョン放送「愛と胃袋」を楽しみにしていよう。初回は井上荒野さんのイタリア・ピエモンテ州ブリオッカ村を中心とした食べ物と人情と人間模様。それを取材し、荒野さんらしい上質な珠玉のストーリーにまで綴ってあった。先週二回目は森絵都さんの出番で、フランス北西部ブルターニュ県カラッテック村を中心とした牡蠣や食べ物のことや、素敵にアレンジする一級のシェフのことや、そして最後には絵都さんらしい素敵な短編小品に仕上げられていた。今夜は角田光代さんのスペイン・バスク地方を旅する。バルにも立ち寄るという角田さんはどんな美しい作品を紡いでくれるのだろう。来週は江国香織さん。ポルトガル・アレンテージョを旅し、修道院特製のお菓子が出てきそうである。食べることは生きることであり、生きることは愛することに他ならない。それにしてもこの企画には脱帽するしかない素晴らしさがある。

 美食とは、食材や料理ではなく、第一級に生きるための反証なのであろう。

 

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炊き込みご飯

 

 

 

我が家の不如帰が咲く 白い不如帰や小紫の不如帰やら 我が家の池周辺に

 

 

 

 

                   炊き込みご飯

 

 

 ようやく秋色に輝き出す頃、手薬煉引いて待っていた。炊き込みご飯を作ろうと。郷土郷土には色んな炊き込みご飯があるようだが、我が家の炊き込みご飯は都会の真ん中につき至ってシンプル。先ず炊き込みご飯の素を作る。

 炊き込みご飯の素

 ① うす口醤油 二分の一カップ

 ② 味醂 二分の一カップ

 ③ 酒  四分の一カップ

 ④ 砂糖 小さじ 2

 ⑤ 干し海老  10グラム 洗わず そのまま使う

 

 その作り方

 1 上記材料を全部入れて、火にかける

 2 湧いたら、アクを取りつつ、沸騰させないで、弱火にして、30秒~1分加熱する

 3 常温で冷まし、ビン詰にし冷蔵庫で保存すると、4~5日もつ!

 

 秋の茸 炊き込みご飯の創り方

 A ご飯のほう(参考だから小人数分を書いておく)

   お米は二合 30%ほどもち米なら更に美味しい。これにお水2カップ。炊き込みご飯の素が大さじ 4。だし昆布に切り込みを入れて、お米の下に敷く。それでスウィッチをポチッ!

 B 具材は何でも合うから、素はあら不思議。今日は茸各種。エリンギ 1~2本、生椎茸 4枚、油揚げ二分の一細かく刻む。三つ葉少々塩茹でにしておく。

 30分ほどお米たちを水に浸し、ザルにあげたお米と、Aを混ぜ、Bをその上に乗せる。スウィッチを入れ、ご飯を炊く。炊き上がったら、少々蒸し、フタを開け、よくかきまぜる。器に盛り付け、茹でた三つ葉を結び、椀の上に乗せて飾る。ただこれだけ。栗ご飯やしめじご飯や銀杏ご飯も同じ要領。凄く簡単で美味しい。昆布だしがポイントで出来ればいい昆布を使用する。但し菊ご飯の時は少々応用編である。黄菊なら阿房宮、ピンクか小紫なら、モッテノホカ(袋菊ともいう)がいい。Aの要領で炊き上がってから蒸す場面で、花弁だけを、お酢少々入れたお湯で湯がく。歯ざわりがいいように、手早く茹で、冷水にとって冷ましてから、水気を絞っておく。Aが炊き上がって、蒸らし終わる時茹でた菊をご飯の上に広げ、軽く上下し、菊の花を混ぜ込む。尚炊き込みご飯の時は具沢山の味噌汁などがいいかも。南瓜や里芋や隠元や葱など粗く切ったのを使う。松茸は今年お薦めではない。不作の年に当たり、然も暑い夏が続いたからで、香りがいいカナダ産でもお薦めしておこうか。国内産はお眼眼が飛び出ることでしょう。是非お試しを!

 

 

父の盆栽に結実す 「豊水」がたわわにて 野鳥たちが取りに来る 

但し盆栽につき 無論大きさはピンポン玉の半分以下

 

 

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憂国 第二弾

 

 

伊勢谷友介扮する白洲次郎 NHKドラマスペシャル『白洲次郎』より

 

 

 

 

                憂国   第二弾

 

  <スパイ天国・ジャパン>

 日本は世界有数のスパイ天国である。あらゆる国家から派遣されたスパイがうじゃうじゃいて、そこらじゅうに充満し、日々活動が活発に続いている。或る場所で乾物商を営む中国スパイの大物や、アメリカのCIA(週給80ドルの薄給だ)や、韓国やロシアやイギリスや、様々な国家の情報局員が日々シノギを削って暗躍している。ここまで来ると哀しいより可笑しいというより他はない。それが日本の情報だけ集めているのではない。各国間の情報も、お互いにキャッチしあっている。無論日本にはジェームス・ボンドのような人が働く部署はない。従ってスパイと言っても海外のスパイが堂々と跋扈しているのが実情である。防衛省に勤務する制服組からもいつだったか、機密漏洩事件があったばかりだが、それは極一部であり、何とまぁ悠長で無防備な我が国家なのだろう。戦前には陸軍中野学校(スパイ養成所)があったが、そこまで極端でなくともいいから、自国の情報管理ぐらい徹底してもらいたいものだ。つまり先刻、中国人領海侵犯の船長を苦し紛れで、公務執行妨害で逮捕しておきながら、圧力にアッサリ屈し解放し、世界中の国家から笑われた国家になった件で言いたいからだ。特に民主党になってから酷くなったように思う。好き放題で、日本国は恰もユルフンの極みであるのだろう。だが日本文化を殆ど理解しない彼らが決してスパイ出来ない分野がある。それは墨田区や大田区や品川区に多くある優秀な中小企業の技術である。日本人の精神構造や日本の精神風土も彼らには理解不能であるが、そう思う時、私はいつも思う、ザマァ見ろと。だが日本のような経済大国にあっても、情報局がないのはいい意味で理解出来るが、悪い意味では完全に世界の国々から失笑を買われているということなのだ。

 

  <ノーベル平和賞と中国の実態>

 去年、事業仕分けにて、岐阜県神岡村にあるカミオカンデが削減の対象となった。色々とあるが、未だにその義憤にたえることがない。ここで発見され実証された中に、ノーベル化学賞を獲得された小柴教授の汗と涙の結晶である。その弟子たちは今も細々と研鑽を積んでいるが、ニュートリノの発見は地下1000メートルの、このカミオカンデで行われたものであったし、一時ニュートリノはダークマターではないかと騒然となったことをよく記憶している。現在スーパー・カミオカンデによって、世界に先駆け、まさに逸早く発見されようとしているダークマターとは、素粒子の一つらしいが、原子と分子しか存在しなかったとする人類の歴史をガラッと書き換えようとしている。それら今まで分かっている素粒子はたった20%過ぎないもので、多くの素粒子がダークマターと呼ばれているからだ。宇宙には天文学・分子物理学・素粒子学・数学など、ありとあらゆる分野の総合的包括的研究が結集されなければならない。ダークマターがどんな意味を持つものか、今からワクワクしている。道半ばにして大腸癌におかされ、2008年7月10日に亡くなられた戸塚洋二さんの戦死が決して忘れられない。科学者らしく己の癌闘病と、真正面から向き合った記録・Fourth Three-Monthsのような誠実無比なブログを私は知らない。「二番目で駄目ですか」などと言い、不見識極まりない事業仕分け人が最近国会内で、高価な洋服に身を包み、商業雑誌のモデルとなって物議をあげている。仕分け人として売っておきながら極めて恥ずべきことである。それにしても鈴木章教授と根岸英一教授が30年前にやった「有機合成におけるパラジウム触媒を用いたクロスカップリング」で受賞されたのだが、お二人は特許を取る道を選ばなかった。お陰で世界中でその応用が実際に多用され、多種多様に応用されて素晴らしい製品が次々に出来ている。ジェネリック薬品やタイヤや液晶パネルや携帯電話など、広く使われているが、お二人の決断に拍手喝采を送りたい。日本の武士道いまだ健在であると。尚お二人ともアメリカのバデュー大学に留学。根岸英一教授は今でも同大學で研究を続けながら教鞭を取っておられる。このお二人の留学問題は日本には如何に基礎学がないかという淋しい証であって、海外留学して帰って来ても就職する場がない問題とすり替えてはいけないことだろう。

 ノーベル賞の化学分野での受賞は今回の二人の日本人の受賞によって、世界で得たノーベル化学賞の五人に一人は日本人が受賞したというから凄いことである。更にノーベル平和賞は、現在国家反逆罪で投獄されている、中国民主化運動の象徴とも言える劉暁波氏に輝いたが、中国政府の怒りは自らが大いなる恥を晒しているようなもので情けない。ノルウェイと断交も含めて今後更に強行に考えるというから恐れ入る。人権なき大国の行く末はあの清王朝の末路にも似て非なるものになるだろう。劉氏は現在54歳、長年に亘って「中国における民主活動家で、非暴力闘争をした功績」として受賞対象理由であった。08憲章とは、2008年12月、中国の民主派知識人・303名によって署名され、ネット上で公表された中国民主化を求める文書であった。1989年天安門事件以来永く封殺されてきた人民の声と言えそうである。特に今回の受賞は中国という国家が大人の国家か、単なる一党独裁による経済的化け物か咽喉もとに鋭く突きつけられている事実であることだ。授賞決定前、中国共産党はノーベル賞を与えないようにと様々な圧力を掛けたらしいが、ノルウェイ政府の取った最終手段は凄いの一言に尽きる。何よりも最も効果的な粋な計らいではなかったろうか。それにしても一党独裁の弊害は半端なものでしかない証左である。中身の混乱と混迷を隠蔽し、ガス抜きが得意な中国政府は安保理常任理事国に全く不相応である。由緒あるフートンを撤去した北京五輪や上海万博におけるドタバタ劇は、羊頭狗肉の見本帳のようなものであった。経済至上主義の極みで、大国とは名ばかり、未だにまことに小さな国家なのである。我が国は頼り過ぎないこと、ASEAN各国と連携・連帯を強めて行くことが強く求められていることだろう。

 大阪地検の証拠品改竄事件は衝撃的なものであった。どんな言論も赦され、気が付いてみると、何でもありの「恥の文化」を捨てた国になっていた。教師が教え子のスカート内の写真を撮り、警官が窃盗をする。裁判官猥褻罪で捕まり、古典的保険金詐欺事件は後を絶たない。その辺の小母ちゃんが平気で保険金狙いの殺人を繰り返す。通り魔によって幾人も人が殺され、犯罪者の人権だけが擁護されて、被害者の心情に対する配慮は何処かに消えてなくなっていた。犯罪と言えば893(やくざ)屋さんの専売特許であったものだが、今や犯罪を犯す一般人が何処にでもいて、いつどう暴発するか分からない。孤立化し、躁鬱化し、街に自由に出入りする猿や猪やハクビシンのようであり、完全に家族観や国家観を失ってしまった。戦後教育制度の責任がまことに重大である。日本人の底力は風化したかに見える。情けない。だから中国の矛盾や暴走を論じる前に、私たち自身の非も、自己自身で正確に見つめるべきではなかろうか。

 

  <COP 10に寄せて>

 他人事ばかりを言っていても仕方が無い。我が国家は、その存亡の瀬戸際にあるのだから。選挙目当てのマニフェストを堅持し、未だに財源なきバラマキを止めない民主党には必要な部分とそうでない部分との仕分けが出来ていないようである。まことに幼稚で危なっかしい政権がいつまで続くのだろうか。社会主義リベラル派に違いない民主党は、数の論理とそれに伴う軍資金疑惑を自らが総括出来ないでいる。自浄能力が完全にない政党であり、かつての自民党批判をすることはおこがましい。自民党保守派の最も嫌われた部分を一身に背負った小澤一郎は、あの菅さんの一言「しばらくは黙っていて欲しい、それが民主党にとっても日本にとっても良い」、この怨念がある限り政界から引退することなど先ずあり得ないだろう。民主党代表戦に出たのも、総理大臣になれば刑事訴追をされないというただ一点であったはずだ。戦後金権政治の終焉であることを自らが知らずに。

 今月18日から、名古屋で始まるCOP10は今後の日本にとって特別重要な課題となるであろう。生物多様性とは多様な生物の恩恵によって私たちは生かされているという意味で、地球環境の劣化とともに盛んに議論されるようになった。その根底には、生物多様性について真摯な危機感があるだろう。今回日本は日本の里山を提言して行くようだが、稲作が産業の中心にあり文化の基本になっていることを忘れ去ろうとしている我が国家の提言は、何を後生大事にしているのだろう。真に生物多様性に向き合っているだろうか。提言だけ立派であっても噴飯ものである。例えば薬品にジェネリック製薬が近年よく使われているが、ただ同然に開発途上国からの吸い上げているだけでしかなく、ブータンとかシンガポールとか、貴重な資源は獲得出来た途上国家と、製品化し商品化して得た利益を、原料提供国に充分に分配し共有しなければならないと思う。先進国のみが自然の恵みを商品化し莫大な利益を享受しては絶対にならない。去年国連の調査で、COPの目標が達成されていないことが分かった。今回の名古屋では実効性のある協議がなされることを強く望む。日本はあのガラパゴス島(固有種110種)より、我が国の固有の動植物が多い(131種)。因みにイギリスは永い氷河期にあったために固有種はゼロ。更に周囲を取り囲む海洋には圧倒的に多種多様な魚や海老や貝類が存在する。世界一の豊かな海である。そして自然は偉大である。だからこそ日本は何としても先頭に立つべきである。今度のCOP10にはバイオミミクリーの提唱者であるジャニス女史もやってくることが最大の楽しみの一つでもある。私は一時イクメンを放棄し名古屋まで逢いに行く予定である。芋がらの葉に何故水玉となって撥水効果があるのか、或いは自動車メーカーのニッサンで開発中の、事故がおきない自動車の開発は、イワシの大群が何故イワシ同士がぶつからないかという研究の成果だ。或いは青いアゲハチョウの色は本来青色をしているのではなく、翅にある凹凸の幅や種別によって、青色・赤色・黄色と見えるようで、それをもう一度自然に立ち返って、自然から学ぶ習性を身につけ、もう一度人類の産業に反映されるべきだ。海だって、山林だって、世界一豊富な自然を持つ我が国家として、最も熱心に推進して行く使命があるのだろう。今回のG7会議にだって、日本の立場を汲々として説明するに留まった菅政権は、世界の大道を歩く勇気と覚悟があるのだろうか。人民元の安さを、世界中が取り囲んで正常値に戻さなければ(これが今回のG7の目的)、尚一層の混乱が続くだろう。人民元の安さがリーマンショックを逸早く脱却させ、スペインもポルトガルも、ギリシャの二の前になろうとして、ユーロ各国が苦心惨憺しているというのに、ギリシャ国債を買ってあげるからと、温家宝首相はいい気なものである。自国の利益追求のみが優先している反証である。

 

  <日本の安全保障>

 竹島が実効支配され、北方四島にロシアの大統領が行くと言う。ASEMでちょいの間会談をやった菅首相にはどこまで日本という国家を護る意思があるのだろう。温家宝首相も菅総理もお互いに尖閣諸島の領有権を主張したのだという。尖閣諸島は日本人の個人地主がいて、どう観ても日本国のものである。「友愛」などと怪しげな言動を繰り返した鳩山由紀夫の危ない一言で火の粉がついたのだろうか。実に70年代になって、この海域には天然資源が豊富にあるということが分かってから、突如中国や台湾が領有権を主張し始めた。全く可笑しな話であり解せない問題である。

 国家、つまり我が子や愛する妻の危機を救うのは日本人自身の安全保障の問題が大事である。尖閣諸島は安保条約の範囲内とクリントン国務長官は言っているものの、これこそリップサービス以外何者でもなく怪しいもので、中国艦船が突如やってきて、竹島同様、中国が実効支配するとは限らない。我が領土を護るのは日本国民として当然の責務である。自国の領土ぐらい自国で護らなければそうするのだ。アメリカとの安保条約はもはや空洞化していると言っても過言ではない。国家を護るのに、竹槍で護ると公言していた森永卓郎は稀代の阿呆である。彼の左翼的言動には我慢ならん。竹槍で護れるくらいなら何も安全保障の問題など議論してもしょうがない。南北に長い領海線がある日本海を、もし海上保安庁や海上自衛隊が完全に網羅してたのなら、果たして北朝鮮による700名にも及ぶ拉致被害者が出ていただろうか。悔しくて堪らない。

 日本国憲法には立派な第九条がある。だが日米安保条約が空洞化した現在、果たしてそれだけでいいのだろうか。無論人類史上唯一の被爆国として非核三原則は堅持すべきであるが、自衛隊は軍隊ではないとする矮小化された論理は成り立つだろうか。明らかに軍隊である。ここで永世中立国であるスイスの例をあげてみよう。スイスは国民皆兵制であり、全国民に懲役が課せられている。日曜日などはどの村でも射撃大会が盛んに行われていて、各自の家々には核爆弾から自らを護る核シェルターが標準装備になっている。国家は大統領制で、各州知事の輪番制で大統領になり、軍隊での序列は長く勤務した軍人ほど偉くなれる。彼らはどんな国家からの侵略にもちゃんと備えているということである。今日本に国民徴兵制を持ち出すのは多分絶対的タブーなのであろう。だからと言って一方的にアメリカの軍事力によって護られていて、その上「思い遣り予算」とか訳の分からない予算=税金を巨額に突出していることの空しさ。どこか変ではなかろうか。領土問題は二国間で解決しろと言うアメリカの突き放した意見を、どう考え感じるか、或いは本当に信じて言いのだろうかと大いに議論があってもよさそうなものである。自国を自国で断固として守りぬく気概がなければ、安全保障問題は自らが放棄したことになりはしないか。自衛隊を軍隊として認知すべきである。あのドイツは戦後確か51回の憲法改正をしているが、勇気を持って議論する時が迫ってやしないだろうか。アメリカの核の傘下にあって平和をヌクヌクと享受していることは赦されないことである。集団的自衛権の名のもとに、戦争好きなアメリカと付き合うべきでは断じてない。日本に徴兵制がないとすると、韓国のサムソンには決して勝てないことだろうことを憂慮する。若者に規律を教え訓練する韓国は、別な面で幸せなシステムを持った国家である。もし兵役が嫌だったら兵役の倍の期間を福祉などのボランティアにあてるとか、そろそろGHQの描いた日本国を卒業すべきではないだろうか。ヘナチョコな戦後の教育問題こそGHQの思惑通りなのだから。松川事件・三鷹事件・綾瀬における下山国鉄総裁惨殺事件など、戦後暗黒の三大事件は言わば確信犯的なレッドパージそのものであり、GHQが無縁ではないだろう。

 私たちは家族や多くの友人の持つべき当然の権利と安全を、私たち自身で護るべきことである。但し飽くまで一種の提言として。

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